新田次郎『縦走路』1958,あまりに他愛ない純情小説、初々しいのはいいとしても

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 新田次郎さん、息子は「若き数学者のアメリカ」の藤原正彦
さんだ。気象庁に勤務しながら小説を書き始め、1955年、昭和
30年下期の直木賞を「強力伝」で受賞、その後「孤島」など、
山や探検に関連した作品を多く世に出した、『縦走路』発表ま
ででも、である。『縦走路』時点でなお気象庁勤務だった。

 内容は、・・・。小さな電気会社の設計師の蜂谷とそこに瀬
品を納入する精器会社の社員の木暮、二人は大学の同期で、ま
た登山仲間でもある。蜂谷の同僚で社長の女となっている美根
子、と学生時代から何かとライバルだった千穂との、驕慢と純
潔という相反するタイプの女、一組。この男女それぞれ一組、
合わさって二組、の男女が山が縁で知り合う。二人の男は千穂
に恋して、美根子はそれに対する反発から、二人の男を誘惑す
る。

 ともかく、このような設定の上で男女二組を動かしてみる、
というのが『縦走路』である。

 泥酔した蜂谷が美根子の誘惑に負けて彼女のアパートに泊ま
りここむ、というヘマをやる。木暮も同じような目に会うが、
持ち合わせていたナイロンザイルでかろうじてアパートの窓か
ら逃げ出したこともある。

 結局、二人の青年が話し合いの結果、同時、同一条件で千穂
に求婚する、ということになる。千穂はその条件での選択にお
いやられるが、美根子の悪意によって双方をあきらめ、自分一
人の道を歩むことを決心する。・・・・・

 以上が大まかなあらすじと思えるが、・・・あまりに大甘な
純情通俗小説である。あまりに他愛ない、というほかないが、
新田次郎さんもそこはそれなりに工夫し、季節も場所も違え
て、登山という条件と風景の中で繰り広げられる、という点で
読者の興味をつなごうとする。この山、が新田次郎さんの作品
の大きな特色となっていくのだが、最初からそのコンセプトが
あったわけである。当時登山小説は数多くあったようで最高の
人気は井上靖の『氷壁』だったから、どうも『縦走路』では
パッとしない。
  
 藤原正彦先生の父親の次郎さんは、蜂谷と美根子を奥多摩に
連れ出せる一方で、同じ日に木暮と千穂を丹沢に連れ出し、次
の日には組み合わせを変えて、蜂谷と千穂を冬の八ヶ岳縦走に
、そこへ木暮が救助に出かけたり、山の魅力で小説をもたせよ
うという腹づもりなのだろうが。

 山の魅力?実際、清潔感のある文章で一応は表現されている
とは思うのだが、それは要は山の風景であり、人間について何
も新しいものを提示していない。人物が単に山の風景の表現の
展開のための道具ではないのか、と思える。

 二人の青年の同時求婚、戸山ハイツにある旧陸軍の残した岩
場に仲良くよじ登って、その頂上から声を揃えて千穂に求婚す
るという趣向。これへの回答が南アルプスの北岳の頂上という
のが千穂の提案である。三人の手に汗握るような三人の北岳へ
の登山、制服、それにつづき、千穂は美根子からのプレゼント
を開けると、二人が彼女の部屋に置き忘れた、マフラーとナイ
ロン・ザイルが出てくる。添付の手紙に「マフラーは蜂谷さん
に、ザイルは木暮さんにあげてください」かくして、千穂は一
人の道を歩む決心をする。

 まだ習作レベル?と思えるほど、初々しい。でもあまりに大
人の小説と見れば他愛ない。小説で人間を描くのか、山の美しさ
を描くのか?小説ならまず人間を描くしかないだろう。

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