永井路子『絵巻』1967,源平の権謀術策を描いてスケールが大きい

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 権力を獲得する、より権勢を得る、これは時代を超えた、
飽くことのない人間の本性かもしれない。その欲望は戦乱
の時代においてこそ、当然、一層熾烈にならざるを得ない。
そこには勝者と敗者の明確な運命が待っている、というこ
とでこの作品は「源平盛衰記」の時代を舞台に描いている。

 この時代を描く時代小説、歴史小説は実際多く、食傷気味
という面もあるが、実にスケールが大きい作品と思わせる。
伊勢平氏で初めて昇殿を許され、平氏興隆のきっかけを作っ
た平忠盛、「すがめ殿」では後白河法皇に巧みに取り入り、
すがめ殿と蔑まれながら、着実に勢力を伸ばしていたその
粘り強い生活力、が描かれ「寵姫」の章では、法皇によって
女にされた丹後局栄子の寵姫ぶりが、「打とうよ鼓」では平
知康と法皇と源家に仕え、全てを裏切った狡猾な生き方、ま
た「謀臣」の章では、緻密な計画でのし上がり、権謀術策、
マキャベリストというべき源通親の生涯が描かれるという具
合で、非常に勉強にもなる、歴史小説である。

 いずれにせよ、政治という権謀術策の限りの世界で、血飛沫
を真っ向浴びて、自己の運命を切り開くという、なんとも一癖
も二癖もある人物ばかりであり、こういう政治的騒乱の主たち
に囲まれての人皇始まって以来の愚帝とも囁かれながら常に、
政治、時代の中心にいた後白河法皇の怪異、巨人ぶりである。

 日本一の大天狗と頼朝が悪罵した後白河法皇だが、政治的
行動、術策は巧みだが、この作品で永井さんは法皇を単なる
「政治的怪物」としてのみ描こうともしていないようだ。
うそかまことか、建礼門院徳子を大原に訪問したことは、実
は、・・・・・本来はご後白河法皇は文化遊芸に深い関心を
持ち、美的な芸術的な中に生活を求めるという、いたって気
ままな、わがままな帝としえ描いている。そういう意味でい
うなら永井さんはいたって割り切った立場から描こうとした
のかもしれない。

 平忠盛や源通親という人物たちの権謀術策ぶりからすると、
同じ権謀術策、マキャベリストにしても後白河法皇のイメー
ジはこせこせしていないような錯覚に襲われる。そのような
記述なのだが、どこかどうでもなくて、どっかり中心に腰を
据えている巨大な政治的存在という描かれ方である。このこ
とによる効果は、無為無策的なるゆえになかなか見事という
べきか。『絵巻』というタイトルに偽りはない。

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