佐多稲子『燃ゆる限り』1955、あゝ、ついに燃えず

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 この作品は松竹で映画化もされたドラマ性がある?小説で
ある。主な登場人物は、「仲田かね子」の家と「宮原重子」
の家の、それぞれの親子、つまりその家の家族である。

 かね子の夫の正美は満州で新聞記者をやっていたが、引揚
げくずれのとなり、他に女を作っていて家にはほとんど寄り
つかず、三人子供がいる。長男は秀男、長女は妙子、次女が
昭子、皆教育は十分受けられず、冴えない会社や役所に勤務
している。

 妙子は同じ役所の河野と呼ぶ大卒の青年と恋愛している。
昭子も、これはまだ大学生で左翼運動にのめり込む宮原隆一
という若者と恋愛中である。だがこの隆一は、宮原重子の一
人息子であり、重子は早く夫と死別、隆一を育てながら助産婦
の資格を取り、戦時下から引き続いての病院付きの助産婦をし
ている。

 仲田かね子の亭主の正美は引き揚げ崩れが抜けきらず、正業
につけない。ほとんど詐欺まがいの事業に手を出しては失態を
繰り返している。すみ代という女にももはや半ば捨てられてい
る。困ると家に帰って妻子に金を無心する。また転がり込んで
は子どもたちの身の回りを持ち出していく。そのつけは子ども
たちであり、秀男、妙子は給料の前借りなどで凌ぐ。正美という
父親の存在がこの一家に暗い影を落としている。

 他方、宮原重子はしっかり者で、息子の隆一が基地反対運動な
どに飛び込み、家宅捜索などを受けるなど、不安な要素はあるが
、母親は息子の行動に理解があり、その恋愛にも理解を示す。
昭子との結婚も認めている。

 このような2つの家庭の、お家の事情を示すことで小説は進行
するのだが、それにしても仲田家は暗すぎる。役所勤務の妙子
の恋愛も相手の河野が故郷に正妻をおいていることから破綻す
る。正美の行状は悪い、回復の見込みがない。かね子は好人物
だが優柔不断、秀男は父親からの損失の穴埋めにと競輪に没頭
して無一文になる、何一つ解決しないでC暗い雰囲気の中、で
そのまま終わる。隆一と昭子の恋愛が救いであるが。

 基本、河野以外は小心市民で高人物だろう、正美さえワルで
はない。でも流石に小説家、佐多稲子はこれらの心理を陰影深
く描く、女性らしい観察眼の効いた表現だろうか。子これは創
作でなく現実の家庭を見てのことだろう、と思える。あまりに
小市民的生活の記述に終始、小説として芝居気がなさすぎる。
妙子と隆一は堅実な人物と描かれている。でも、おきまりのよ
うな左翼運動への傾倒も内面まで掘り下げられていないようだ。

 その表現力はさすがであるが、そこに何が?という疑問とい
うか、物足りなさは拭えない。

 「燃ゆる限り」と云う題名が理解しがたい、ついに燃えてい
ないのだ。

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