山本周五郎『樅ノ木は残った』1958、文学的表現は見事だが、伊達騒動が舞台、複雑で地味で暗い
これはNHK大河ドラマでも放送された山本周五郎きっての
名作だ。従来は悪役とされてきた原田甲斐を身を挺して藩を
救った勇気ある人物と見なす逆転評価文学である。ところで
NHK大河ドラマは、「逆転評価」作品が好きなようで、最初
の舟橋聖一「花の生涯」、従来というか、皇国史観では悪の
権化で最低評価だった井伊直弼の人物像を好意的に高く評価
して描いたもので、実際、反発も多かった。舟橋聖一が、戦
時下、国策に協力する作家が多かった中で着流しで通すなど、
皇国史観に反発する意志が相当強かったようで、そこで出て
きた、週刊誌連載は終戦後間もなくである、・・・「花の
生涯」井伊直弼善玉説で、地元、近江からは大歓迎された。
無論、「花の生涯」も「樅ノ木は残った」も作者による文学
的創作の結果であり、歴史的事実では毛頭ない。「樅の木
」において特にそういえると思える。評定の場で控室から
突然、刃傷に及んだ原田甲斐は普通は主人公にしなくない、
そこを狙った周五郎だが、日本は松の廊下で突如、背後
から斬り掛かった男の側が善玉になる、それも見抜いたの
かもしれない。
で伊達騒動に舞台を取った「樅ノ木は残った」伊達騒動と
いうものが、また東北の雄藩という、なにか「寒い」舞台装
置である。伊達騒動については詳しい本も出ているが、専門
家でないと容易に把握できない。だが山本周五郎の解釈は
原田甲斐、善玉説である。あくまで小説として仕上げるため
の設定で歴史の真実にそうものかどうか、は別問題である。
読みこなすには事前に歴史的人物を把握しておかないと理解
は不可能だろう。
万治三年、1660年、陸奥守綱宗が何理由からか逼塞させら
れて以来、伊達家には十年以上にわたり、伊達藩の存亡にか
かわる騒ぎが起こった。いわゆる伊達騒動である。
この騒動の背後には(さかいうたのかみけ)酒井雅楽頭、
酒井忠清と陸奥族の伊達兵部による仙台62万石の分割寸断
の策謀があったという。
事態を察した宿老、原田甲斐は伊達安芸、茂庭周防と組ん
で、自らは伊達兵部の懐に入って策謀を探り、事を未然に
防ごうとする。甲斐は陰謀の裏に、徳川家の末永い安泰の
ため雄藩を取り潰そうという幕府の意図を見抜く。本来は
原田宗輔という。
見えない意図があらゆる方向から迫る、血気にはやる仙台
人の家中でも頼りになるものはいない。そのうえ、盟友の
茂庭周防は死んで伊達安芸も老いさらばえて性格も変わる。
ひとり甲斐はもはや見方も欺いて兵部の懐に入る。
伊達宗重が幕府に上訴、1671年3月27日、原田甲斐は幕府
の評定を受けるため、他の五名の仙台藩家臣と大老、酒井忠
清邸に召喚されるが、その召喚されていた伊達宗重を原田甲
斐は惨殺、その騒ぎの中で逆に惨殺される。原田家は養子に
出された者も、乳幼児も含め、男子はすべて切腹、斬首でお
家は断絶した。
子供時代、私たちはよく「えーもん、わるいもん?」と
言ったもので「善玉か悪玉か」である。悪玉とされた原田宗
輔、(甲斐)を善玉、あえて逆人の名に甘んじても、仙台藩
安泰のために、決起した、超善玉が周五郎の史観である。そ
の挑発に耐え抜いて決起の力の源はなにか、何人にも本心を
見せない原田甲斐(宗輔)の人格の厳選を追求している点が
作品の真髄である。ただ伊達騒動自体が複雑で地味でわかり
にくい、周五郎の解釈が妥当か、歴史的にはまずあり得ない
気はする。
原田宗輔(甲斐)を単純に善玉とすることは妥当ではない。
伊達騒動の重要なプロセスの寛文事件、これは奉行だった
原田宗輔の加担の責任は大きい。周五郎の解釈はあくまで、
文学作品に仕上げるための方便である。歴史的事実ではない。
文学的に潤色され、国老になる家柄に育ち、だが七歳頃から
山小屋で一人の番人と生活をともにし、どこか寂しい風情の
樅の木、鹿などを友として育った甲斐は、いつしか人間は一人
であり、たえまない苦しみや悲しみを自分一人で背負い続ける
ものと悟るようになる、周五郎はこの甲斐の深い孤独と長い苦
難に耐え抜いたものが策謀に立ち向かわせたと見る。微妙な人
の心理を緩慢な十余年もの動きと、丁寧な表現、孤独人の甲斐
の心象風景を照らし出す作品は、文学作品としては見事である。
逆に娯楽性に欠けり、モチーフ的には最終作「長い坂」にその
まま通じるものがある。時代小説的でなく歴史文学作品である。
あくまで周五郎解釈のフィクションである。
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