野間宏『わが塔はそこに立つ』1962,魑魅魍魎の戦前の異様な青春物語,すさまじい土民的力感

ダウンロード (53).jpg
 基本的に著者、野間宏の半自伝であろう。といって自伝と
サされず小説化されている。生まれが神戸の長田の貧民窟に
近い場所に生まれ育った点を、大阪の貧民窟に変えている。
主人公の海塚草一は、大阪の貧民の町に説教場を持つ念仏宗
の僧の息子として生まれ、将来、宗門を発展さえるホープと
して育てられる。だが徐々に、文学に心は向いて、京都帝大
の文学部フランス語科に入り、友人たちと同人誌を出す。

 だが革命的唯物論の思想に染まっていた草一は、古めかし
い宗教を否定し、宗門と絶縁しようとするのみならず、芸術
的な志向の同人誌をも肯定できなくなる。さらに滝川事件後
の学生組織の再建を期して、実践的活動に入っていこうとす
る。

 とまあ、書くと、またしても戦前の定型的な左翼学生の政
治的小説かと思われるかもしれないが、そういう一般的な
左翼学生政治小説とは多いに趣を古都にする。主人公の草一
は、どろどろと煮えたぎるような、欲情の虜となって、無償
の行為に似た盗みを働き、娼婦を買い、愛しているとは到底、
言い難い女性に強引に挑む。そういう私的な行為と、社会的
行為との関連、また断絶は、主人公の意識の上に明確な影を
落とさない、のである。

 実際、奇妙な人間像だ。だが、こうした実存的な人間の把握
は、サルトル以来常識的となったのか、際立って珍しいとは言
えないだろう。戦後、部落出身でもないのに部落解放同盟の
中央委員となった作者、野間宏の魑魅魍魎である。長田の貧民
街は即、被差別部落だった。

 「わが塔はそこに立つ」の特色と云うなら、そういう部分に
はない。主人公はさらに政治、経済、科学、宗教、芸術など雑
多で雑駁な週刊誌的というか、至って総合的に把握しての造形
を試みているようだ。人間を支配する六つの要素、をれらを一
つも逃さず、等価値として把握し、小説の世界を形成しようと
している。なんというのか、小説における人間の全体的把握
という、良心的で意欲的な作家なら持ちそうな企図である。

 これは概ね成功している、ようだ。昭和10年代の閉塞された
時代の青春の可能性が見事に総合的把握で結実している。だが
それを統合する理念がない、それはここに綴られる青春のあま
りに異様さゆえだ、魑魅魍魎さ故だ。理念がない、「塔」がな
いのでらう。この長編、「真空地帯」の作者の長編、だが「わ
が塔はそこに立ち得ない」のだ。昭和の歪んだ青春である。
しかしなんとも力のこもった作品だ。

この記事へのコメント