「人間とは70歳から100歳までの間に必ず死ぬ生き物である」70歳からの再生

人間が直視できないもの、「太陽と死」とは云うが、ここ
まで超高齢化社会となってくると、「死」を直視しないなど、
それこそ滑稽な話である。実際、「終活」なんて言葉はごく
ごく、普通に使われている、以上に重要なテーマとなってい
る。最近、頭によく浮かぶ言葉は
人間とは70歳から100歳までの間に必ず死ぬ生き物である
随分、当たり前な言葉と思われてしまうだろうが、しかし
噛みしめると含蓄があると思える。100歳以上の人もいるが、
100歳以後の生存年数はごく短く、やはり例外的である。問
題にはならない。
だ。もちろん、70歳に届かず亡くなられる人も結構いる。
だが基本的に、現在の人間は通常の生活環境、健康状態なら、
上の言葉が妥当する。逆に言えば、最低、70年生きたら、と
もかく寿命の基本的なノルマは果たしたことになる。その後
、どれだけ生きるか、サバイバルである、生きるとは健康だ
けではななく相応のお金が必要である。生活資金が早々に
枯渇、では仮に家があっても生きるとは至難である。
人間を見たら全く栄達を遂げた、名誉に恵まれ、さらに
莫大な資産財産を持ち得る人もいれば、多くは名誉などなく、
栄達ともまあ無縁、財産もそこそこ、なんとか70歳以降も
生きられたら、くらいの人、、であろう。無論、それで充分
で、本質はいかな地位と名誉、財産を獲得した人間も無名の
市井の清貧の人も、「70歳から100歳までの間に必ず死ぬ」
に帰着だから、人間お表向きのレッテル、虚飾に惑わされる
ことはない、と思わざるを得ない。いかな天才も、如何な、
無為無能、浅学非才も同じことである。そりゃ、無為無能よ
り「天才的頭脳」を持った方がいい?のは半面のみの真実、
凡才こそが幸福を得られるのではないか、と負け惜しみでな
く,感じざるを得ない。
人間の生きる寿命のノルマは70年である、まずそこには到達
しなければならない、同時に70歳以降がサバイバルの熾烈な戦
い、他との戦いのみならず自分との戦いである。
然し私のように、生まれたら森永ヒ素ミルク、災難続き、家
庭は地獄、親は宇宙開闢以来の全部の毒親を集めて煮詰めたみ
たいな毒親、15歳で重度の腎炎、「後一週間の命」と宣言され
て退院、以後、腎炎で病院に行ったこともない。自然こそが
救いの神である。でも体調は悪く、ずっと「一日一生」で生き
てきた、から、特に心境の変化もない、まだまだ70歳到達もま
だ時間がある。微苦笑するのみ。
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