森永ヒ素ミルク中毒、いまもって一言の謝罪も聞いてません
1955年、昭和30年、西日本地域において乳幼児にミルクを
激しく吐き出す、肌が黒ずむなどの症状を呈する食品公害が
発生した。1955年だから1954年、1955年生まれの乳幼児が
もちろん基本だが、1953年生まれでも11月、12月生まれあた
りはその被害を受けている。私などがそうだ。学年的には私
より一学年下が中心である。私も噴水みたいにミルクを吐き
だしたという。その被害からか、脇腹より下の皮膚が妙に黒
い気がする。
乳幼児に限って発生だから、これは乳児用ミルクに原因が
ある、と考えた岡山大医学部の検査で森永乳業、徳島工場で
生産されたミルクにヒ素が混入していることが発見された。
死亡した乳児もいたはずである。私は多少は成長していた
のと、粉ミルクの購入は2店舗からであり、森永ドライミルク
は一つの店舗にしか売っていなかったというが、それでも被害
は明らかである。これが私より小さく、森永ミルクばかり飲ん
でいたらどうだろうか。
その後遺症については1970年ころ、大阪大医学部、岡山大医
学部(両医学部は歴史的に提携関係にある)のスタッフの調査
でかなり判明した。森永の御用学者、京大だったか、がムキに
なって否定、当時結構、論争になったものだ。
しかし、なぜ粉ミルクにヒ素が?徳島工場の製造工程でコス
とダウンのため、ダクトの内部被覆に工業用の素材を利用、そ
の中にヒ素が混入していたからだったとか聞いたことが有る。
利益のみに目を向けての工業用素材の利用がヒソミルクを生んだ
わけである。
いまもって森永乳業から謝罪、詫びの言葉を聞いていない。
先日、山陽新聞で森永ドライミルク、徳島工場製造の未開封
缶が岡山大医学部に保管されていたと報じられた。

新聞記事
1955年に発生し、1万3千人超が被害を受けた森永ヒ素ミルク事件で、粉ミルクに含まれていた有毒物質のヒ素を特定した岡山大医学部(岡山市)に、これまで現存が確認されていなかった未開封の粉ミルク缶と、同大病院の第1号患者らのカルテが保管されていることが20日、関係者への取材で分かった。戦後最大の食品中毒とされる事件の記憶と教訓を今に伝える貴重な史料となりそうだ。
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同大医学部は当時、岡山県内外で皮膚が黒ずみ、肝臓が腫れた乳児の患者が相次いだことから原因解明を急ぎ、55年8月に森永乳業(東京)の粉ミルクに混入されたヒ素による中毒と初めて特定。70年には広島県瀬野川町で被害児を追跡調査し、知的発達の遅れといった後遺症を医学的に証明するなど同事件と深い関わりがある。
未開封缶(高さ11センチ、直径10センチ)は、追跡調査を行った疫学・衛生学分野教室(当時は衛生学教室)の金庫に長年保管されていた。側面に「森永ドライミルク」と記され、缶底には「MF5506」とロット番号が打刻されている。ヒ素が混入した徳島工場で55年5月6日に製造されたことを示すという。
国は事件発覚後、販売店や家庭から徳島工場が製造した約70万本を回収しており、森永乳業や被害者団体などでも未開封缶は確認されていない。同教室は70年ごろ、支援する被害者家族から回収漏れの缶を譲り受けたとされる。
カルテは、同大医学部に残されていた各診療科の数十年分の中から複数の被害者のものが見つかった。いずれも「森永」の印字と手書きの通し番号が付けられていた。
「森永 1」と記されたカルテの初診日は、原因がヒ素と特定される約1カ月前の7月23日。生後8カ月の男児の名前が書かれ、ヒ素中毒の症状である「皮フの色素沈着」の所見と共に、「敗血症として輸血」「死亡退院 8月7日」などと記載されている。
未開封缶と第1号患者のカルテ(写し)は同大医学部内の医学資料室で4月以降に一般公開される。保管状況や経緯などを調査した同大客員研究員の木下浩・医学資料室長補佐(医学史)は「後遺症に苦しむ被害者は今も多く、決して終わっていない問題。食の安全や企業責任の在り方を考え続けていくための貴重な史料として守り続けたい」と話している。
風化防ぐ契機に
森永ヒ素ミルク事件の被害者救済団体・ひかり協会(大阪市)の前野直道理事長の話 70年近くの歳月を経て未開封缶と当時のカルテが確認されたことに大変驚いている。事件の風化を防ぎ、過ちが二度と起きないよう改めて考える契機にしてほしい。
森永ヒ素ミルク事件 1955年4~8月に森永乳業徳島工場で製造した粉ミルクに大量のヒ素が混入、飲んだ乳児が高熱や下痢などを起こし、約130人が死亡した。73年11月に業務上過失致死傷罪で工場関係者の有罪が確定。同12月、被害者団体「森永ミルク中毒のこどもを守る会」(現森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会)と森永乳業、厚生省(現厚生労働省)の三者が恒久対策案に合意、翌年に救済団体「ひかり協会」が発足した。
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