山崎豊子『暖簾』1957、デビュー作だが、昆布屋の親子の経歴説明にしか過ぎない

  ダウンロード (35).jpg
 山崎豊子は盗作問題は数多く惹き起したが同時に、その
話題性、社会の深層に切り込む不朽の問題作、例えば『白い
巨塔』、『華麗なる一族』、『大地の子』などを遺したのも
紛れもない事実だ。スタッフに資料集めは任せていたようだ
が、資料そのまま、という部分が多く創作ではないとの批判、
同時に盗作では、という批判は最後まで続いた。

 その山崎豊子さんの文壇デビュー作、最初の長編が『暖簾』
である。

 15歳の吾平は淡路島から大阪へ奉公に出る。1896年、明治
29年、日清戦争直後の好景気のときである。吾平が奉公に入
った店は船場の昆布屋であった。吾平はこの店で、商売大事
と何ごとにも倹約という二つを最大の心得として働いた。27
歳のときに暖簾分けされて、その主人の親戚筋から嫁を世話
しれもらう。吾平はわずか一銭の利益も見逃さず働き続ける。
日中戦争の始まる頃には十三に工場まで持つ大きな店の主人
となっていた。だが戦争の影は強まるばかり、統制経済で
商売は全く低調になった。ついにはB29の空襲ですべて灰燼に
帰してしまった。・・・・・・ここまでが前半、第一部であ
る。

 後半の第二部はその息子の孝平が戦地から帰還するところ
から始まる。30歳の孝平は軍服のまま、堺、神戸と昆布の闇
で歩き回った。そのうち疎開先で父の吾平は死んだ。孝平は
闇で儲け、大阪に新たに店を建てた。統制経済は緩和され、
大阪は再び経済発展の軌道に乗る。その波に乗って孝平の商
売もますます大きくなる。昭和30年、1955年には父の店が
かって存在した場所に立派な店舗を新築した、で第二部は終
わる。

 つまり親子二代の商売繁盛物語、出世譚であろう。前半部
は父の吾平が主人公、後半部は息子の孝平が主人公である。
いかにして商売を発展させたか、そのプロセスを詳しく述べ
ているということだ。第一部は時代が古いから、経歴説明に
終始という難点が多少は濾過さているが、第二部は戦後で風
情もないから話が要はPR,というか宣伝に堕している感は否め
ない。

 山崎さんは吾平と孝平を通じ、「大阪商人」の「ど根性」
を描きだそうとしたのかもしれないがこの作では、そこまで
の筆力がない、というのか、経歴説明のまんじゅう本とさし
て、違いがないような平板さに終止している。年譜と本質的
に異ならず、「人間」が浮かび上がってこない。

 なら小説とせず、二人の商売人の伝記としたほうがよほど、
内容に即している。日本に資本主義が勃興の日清戦争直後の
時代からだから、経済史的視点での伝記としたほうが良かっ
たと思う。へたに「小説」と銘打って逆に材料が精彩を失っ
たかのようだ。

 さすがにその後の『ぼんち』などは格段に小説らしくなっ
ていると思える。

この記事へのコメント