「病は気から」に潜む真実、「意識」こそ病気である

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 かなり前の話だが、当時の首相、中曽根康弘氏が広島の
「原爆病院」(広島赤十字・原爆病院)の患者をお見舞い
したさい、「病も気からですよ」と「励ました」ことがある。
この発言を当時の社会党委員長、石橋政嗣氏が国会質問で取
り上げたことがある。

 だが病気と精神、まあ「精神病」ではなく通常の病気でも
精神と人体が分離されない、一体のものである以上、その影
響、指針の人体への、また疾患への影響はあまりに大きいと
云わざるを得ない。「病は気から」は精神が過敏とか神経質
にならなく、前向きになれたら体の病気も良くなる?という
プラスの意味より、過剰に心配し、不安に怯えることで実際
に体調、病状が悪化というマイナス面の方が遥かに大きいと
思う。実際、懸念し、「悪いのではないか」とノイローゼに
なるだけで実際に臨床症状が顕著!に現れる「心臓神経症」
という疾患?がある。実は私は小学校の時、家庭環境の影響
なのか不安に捕らわれやすく、ついにはその不安が「心臓」
に及んで「臨床症状」が現れてしまった。何も悪くないはず
なのに、不安が亢進すると関節あたりに浮腫が現れたり、そ
うしたら本当に重病と思ってしまう、でもその後、忘れたら
何の症状も現れなくなった。それほど精神の有り様は身体に
影響する、マイナス面でこそ顕著だ。

 人間が健康とは「その存在を忘れている」ことである。心臓
でもなんでも「意識」しなければ、ありのままの存在である。
「治った」とは「存在」を意識しなくなった、時である。無論
、胃病が治っても「胃」を全く意識しなくなることはないだろ
うが、その意識はあるがままである。

 ただ臓器によっては本来は存在をまず意識しないものは多い、
膵臓を意識なんてないし、肝臓も普通は意識などないだろう、
腎臓だった腎臓病にならない限り、意識はしないだろう。胆嚢
を意識なんてまずないだろう、だが「病むと意識が発生する」

 腎臓病はどうか、慢性となってからである。腎臓病は、些細
な食事のとり方で悪化するケースが多い、タンパク質、リン、
カリウム、塩分、刺激物、・・・・・これらを含むものとなる
と、ほぼすべての飲食物が該当してしまう。生命現象があれば、
そこにタンパク質、リン、カリウムはあるからである。

 別に意識しないで食べて、「今の食べ物医は実は~が多かっ
た」と分かって「意識」が始まり、不安に転化した場合、まず
実際に腎臓は「悪化」する。だが胃の滞留時間、蝶での消化吸
収の時間を考えたら即座に腎臓に影響するとは想いにくいのだ
が、「意識」の怖さ、実は「意識」こそ病気という大きな一面
である。

 「病は気から」その意味するところは重大である、しかし全
てではない、「意識」がなく病は発生するからである。だが、
「意識」自体でも病を発生させることは充分可能だし、すでに
罹患している場合、「意識」だけで悪化はあり得る。

 「意識」こそが病気、そうなると人間の存在自体が病気に
通じるということである。

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