マルセル・ムルージ『エンリコ』安岡章太郎他訳、「クオレ」のエンリコと並ぶもう一人のエンリコ

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 「エンリコ」といえば、エドモンド・デ・アミーチス作の
、まさに比類なき「クオレ」、少年文学と言うべきだろう、
少年少女向け、という狭い意味ではなく少年たちの日々の生
活を悲喜こもごもに描ききった名作、である。「クオレ」は
エンリコの日記、という形で進行し、「毎月のお話」が、これ
また比類ない名作が織り込まれている。エンリコの通う小学校
で、生徒が一人、そのお話を清書することになっていた。

 ・・・・その忘れがたい「クオレ」で懐かしい「エンリコ」
これはイタリアの男性名であり、欧州で対応する名前は、ドイ
ツではハインリヒ、英語はヘンリー、フランスではアンリ、と
なる。フランスでは「アンリ」のはずだがフランスを舞台にエ
ンリコである。

 日本では1975年、翻訳が出た、安岡章太郎、品田一良の共訳、
マルセル・ムルージ Marcel Mouloudji 1922~1994,、戦後の
シャンソン界でも存在感を示した。俳優、歌手、劇作家、作家
である。マルチぶりは際立つが、決して歌手、俳優の余儀では
ないのがこの『エンリコ』だと思う。ムルージは育った貧困か
ら身を起こし、あらゆる可能性を試みたのである。いわば大道
で歌を歌い、ジャン・ルイ・バロー劇団の子役となった。詩も
作り、多くの映画にも出演した。劇作もし、迫真の演技を見せ
俳優だった。絵も描き、シャンソンを歌った。ユーチュブでも
Mouloudjiチャンネルがある。特に、小説こそはこのマルチな
才能の男が生命のほとばしりを発散させるその対象だった。

 『エンリコ』は「人間実存の赤裸々さ」を描いたものとして
サルトルから称賛されたという。こう書くと、えらく深刻な小
説みたいだが、そうではなくて、ある時期の少年世界が非常に
いきいきと描かれている、また率直に表現されている。でもフ
ランスでなぜアンリでないのか、である。日本ではなかなか、
「少年の世界」を描くのが難しい。

 ムルージはこの作品を「14歳の時、1936年に書き、19歳の
ときに書き直した、それが成功したので驚いた」」という。
20歳未満で傑作を書いたラディゲほっではないだろうが、相当
な才能だ。それがもし事実なら、この小説は15歳の少年が主人
公だから、自伝的なものというより、ほぼ等身大の少年の世界
をイキイキとした言葉で描いたものといえる。

 少年世界といって甘くはなく、常に平和な日常が毀損され、
人間の心の醜い部分、生活の暗澹たる面なども現れる。どだ
い少年の心も残酷なものだ。生への認識の率直さが、多面的
な残酷を生む。優しさは残酷に通じるを教える。

 ただ基本、筆致は楽しげである。パリの下町の貧しいアパ
ートの生活である。父親はろくでもない人間の飲み助、母親
はヒステリー昂じた狂気を秘めている。毎日喧嘩である。母
親は父親の女癖にイライラを募らせる。剃刀を懐に忍ばせ。
ゴミを階段にぶちまけたりする。

 この貧困な生活の描写と人間の暗部、スープに蠅を浮かべ
て食べる場面に象徴される。母親に蝿を取ってこい、といわ
れ、少年らしい陽気さで何匹も捕まえてくる。それが夕食の
スープに黒い点で浮かんでいる。

 陰惨な光景が目につくが、それも結果は少年の清冽な感性
で処理される。パリの生活の一点と化している。生活がその
まま詩になっていると云うべきか。純粋である。

 安岡章太郎さんの訳はこの小説に明らかにカラーを与えて
いる。

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