谷崎潤一郎の弟、妹のあまりに悲惨な生涯(谷崎精二を除く)ブラジルで炊事婦や宿屋の下足番

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 平安朝から芦屋、大阪ブルジョワなどの絢爛たる世界を
描き、また性の倒錯の物好きな世界をも描くという、日本
近代文学に輝く超文豪、・・・・・「母を恋うる記」など
身内を描いた濃厚な著作もある。だが、どうにもこうにも
語られない部分があるというのである。

 それは谷崎潤一郎の弟、妹たちである。腰を抜かすほど
の悲惨な哀話である。その妹の一人がこのようなことを、
ある文芸雑誌に昔、書かれていた。

 潤一郎は男四人、女三人の七人の兄弟姉妹だった。母親
の乳の出が悪くさらに家運が傾き、その内三人は「三男と
私(著者)と妹」が他家の養子や養女にやられたという。彼ら
の運命は悲惨を極めた。世に出たのは潤一郎と精二であるが、
その名声と比べて、あまりに対照的ある。暗い。

 妙なゆかりで、あの石川達三が彼らの哀れな姿を眼にして
いたのである。潤一郎の名声は高まるばかり、その絶頂期、
南米に渡った石川達三が偶然目にしたものがある。「作家
(潤一郎、精二)の妹がブラジル三界で、侘しい宿屋の炊事婦
」をしていたというのだ。三男にいたっては、ある地方の田
舎の旅館で女中から「そこの玄関の年寄の下足番が」だった
という。容易に信じることができないが、悲惨である。

 実妹は石川達三の文章を読んで、真相を語る気になったと
いうのだ。その運命は過酷である。養子、養女に出された者
の運命は兄らと天地の差以上だった。

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