中村光夫『老いの微笑』1985,人生閑談、「老人が住みにくい」日本を悲歎

あの「です、ます調」の文芸評論家、中村光夫(1911~1988)
の結果的に最晩年、73歳ほどのときのエッセイである、まだ73
歳と思ってしまうが、早くから頭をフルに使われた方は老化が
あるいは早いのかどうか、このエッセイは73歳でずいぶん年寄
りくさい。
で、このエッセイは従来のような文学論ではないようだ。これ
まで生きてこられた人生への思いを綴ったものである。いわば
人生閑談というべきものだが、そんな人生閑談はそこらじゅうに
溢れていそうだ。だが中村光夫さんともなると、そこは自然なる
滋味を含む、ただし庶民とは言い難くフランス在住も当たり前、
という方で滋味は滋味でも多少バタ臭くはある。
第二部の「老いの微笑」から読み始めるのがいいかもしれない。
73歳をどう考えるか、だが私のような使うべき頭すらなく生きた
人生は100歳でも若者じみた気分が?という錯覚すら浮かぶが、
その文芸評論の人生の年輪は確実に中村さんを老化させているわ
けであろう。この閑談、エッセイのテーマは「老い」である。そ
れは仕方のない話である。
人間、何歳から「老い」を意識するのだろうか、島崎藤村は50
歳の「老い」を書いている。
これをエッセイというにしても閑談というのは、中村さんはこ
こで別段、特別の体験を語ってはいないのである。「老い」につ
いても特別な卓見を述べているとも思えない。ただ、まあ自然に
書いていると思う。だが一人の個人が語るのでもなく、あたかも
人生そのものが顔を出して老いを述べているようだ。
語る言葉も」全く飾り気はない、単純だ、単純ゆえに深みが増
す、といえば褒め過ぎだろうが、しかしそうともいえる。です、
ます調に変わりない。ならこの調子で戦争、終戦後の体験も語っ
てほしい気はする。
自らの老化の記述は引用せずともいいだろうが、「これが老い
というもの、老人にとって生きることなのかと思ってしまいます」
と、例によって」です、ます調を崩そうとしないのは何だか、い
い歳してかわいい気もする。
「しかし、西洋の文明を輸入し、築き上げた今日の我が国の社
会で、老人の問題は、その孕む矛盾をひとつの鋭い形で示す」も
のになっているという。
「つまり老人にとって、もっとも住みにくい国に、老人が増え
つつある、という事態が、我が国が西洋文明を輸入した実質的な
結果ということになります」
あゝ、こっちもついに「老人」かと嘆きたくもなるが、優勢思
想に官民挙げて熱狂する悪しき国民性、国家の性格でますます、
あの中村光夫さんの時代なんか比較にもならない、老人のすみに
くい国!になろうとしているのだから悲惨である。
また「死を考え、死を見る」問題、たった70歳を過ぎたら人間、
こうなのかと思うと切なくもある。
文学ん話もある、中村さんが若き日に」藤村に会ったときのこと、
「いま対座しているのは非凡な人だ」」と思いながら、「女性的で
ありながら、どこか動物的なエネルギーを持っている美貌」が」印
象に残ったという。・・・・・。いまになると、その美貌こそが、
藤村の小説の鍵になっていると分かる、なるほど、視点は鋭い。
そうだなぁ、文学は時に優しく、ときに鋭くもある。いつも実は
人生に接している、ときれいごとでなく思わせるエッセイだ。
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