法然院の歴史と魅力、簡素な茅葺きの山門の魅力

京都は世界屈指の観光都市、だが現実に楽しむ、意義ある
ものとするには充分に知識を持っておくことが必要で、全く
無知では単なる神社仏閣ばかり、街は古めかしいだけで終わ
りかねない。京都観光の実際上の問題は「移動」である、よ
く「バスがあるではないか」と言われるが、京都市民でない
となかなか、乗り継いで目的地とは簡単にはいかない。JRの
京都駅からなら、待ち時間はあるがタクシーでいけばいいが、
観光スポットから戻るには、となるとタクシーは拾いにくい
ものだ。ましてシーズンは至難である。レストランに入って
も席が空いてない、そこまで深刻に考えなくてもいいにせよ、
移動は注意が必要だし、楽しむのは簡単でない要素がある。
どこの観光地でもそうだが、神社仏閣は見せ物ではないこ
とに本質があるかもしれない。知識、教養が必要だ。
今月は三度目だが、法然院に行くことになった。京都大学
の東、あの「哲学の道」のすこし東で山に!ある。正直、「
哲学の道」という名称はどうも好きでないのだが、鹿ヶ谷を
北行する疎水支流べりは感じの良い、しっくりする小径であ
る。2012年の3月31日から4月1にかけて京都に行き、哲学の
道も歩いたが、その年はやたら寒く、櫻も全然開花していなか
った。
東は東山連峰が迫り、西は吉田山までゆるくあいている。
このあたり、京都でも広く明るい印象だ。土日祝は観光客も
多いし、京都大学の学生も多い。
法然院の事前の知識だが岡山県出身!の法然である。
法然が後鳥羽帝の寵姫、二人を得度させた弟子の罪に連座
し、土佐に流されたあと、この念仏の故地に由緒ある寺を開
いた、江戸の万無、特にその弟子、忍徴である。寺は以来、修
行を旨として、山門や前庭にみるような禅風の禅の風を取り入
れることになった、という。だが拝観を許さない本堂で毎朝六
時から始まる宗事は浄土宗そのものである。だから実際にそれ
を見ることは出来ないが、実際に見た人の文章では、独特の礼
賛痔、うねるような旋律の南無阿弥陀仏をうたう男声の合唱に
は法悦に満ちているという。毎年十一月はじめ、京都古文化保
存協会の勧進でなされる一般公開、現在もだろうか?方丈を飾
る重文の狩野光信は見逃せない。眼を見張るような堂本印象の
新襖繪も拝観も重要だ。
その堂本画伯をはじめ、河上肇、谷崎潤一郎、九鬼周造、
内藤湖南らの墓が寺城の南斜面に連なっている。善気山法然院
無教寺、裏の竹林にはなおイノシシが出ルトも、今はどうか、
大自然の静寂と繊細な近代宗教の人工美の取り合わせである。
日本文化と若いモダニズムが碧の中で一つになった、小さな
宇宙という趣はそのまま「京都」であろう。
法然院は山内に一歩入れば、古い過去、ごく近い過去、が蘇
るような空間である。透明感をくずさない。広くゆるい階段か
ら黒い宗門を通ってまっすく山門に向かう並木道も、結界の千
柵が低く清楚で、ゆったり舞うような感じで寺に参入できる。
その北の切通の急坂からじかに山門に辿り着く脇道も良い、京
都の住宅街から一気に緑の深山にわけいるような感覚は魅力が
ある。鹿ヶ谷の本当に鋭い斜面に建てられた寺だと実感するの
はこのときである。
やはり法然院が訪れる人の心を捉え、別世界に引き入れるの
は京都でも唯一という茅葺きの簡素な山門だと思える。この寺
を守るわずか四人の僧は一に掃除、二に勤行、何よりも美に対
し、鋭敏になる。その砂壇の奥、いつからか鹿ヶ谷の湧き水を
利用して広い池が掘られた。この池と苔が前庭の全景を優しい
柔らかさでまとめる。池も庭も、この寺は花が絶えることがな
いのである。
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