日本全体を「認知症」利権に染め上げる高齢者講習での「認知症」検査義務化、怒涛の収容所列島化


 全く日本という国は国や行政に本当に好都合に出来ている。
既成メディアはあたか国の意図のプロパガンダに沿った報道、
記事を大衆操作、洗脳、愚民化のために徹底的に行い続ける。
さらに国民も、まるで洗脳されるために存在するような国民
であり、国や行政のプロパガンダ、それに呼応したメディア
の洗脳報道、愚民化記事をそのまま受け止めてしまう、とに
かく信じやすい国民性なのである。だから、もはやそう思い
込まされると、思考は停止し、その意図的なプロパガンダに
沿った極度に定型的な洗脳に沿ったことしか考えなくなる。

 私はここに至る道筋、つまり警察庁が「年齢」を理由にし
て「認知症」という実質何ら確実な定義もない精神病名の
検査を免許更新の高齢者全員に実施し、更新を認知症検査
「合格」を条件にするという、およそ世界にも例のない暴
挙を行う、にいたった経過を考えると警察庁が国内メディ
アの特性を知リ尽くして利用、なんだか猜疑的だが、実は
これ以外に真実がないのである。

 警察庁が行った手法は従来は「オートマ事故」と呼ばれ
ていたものを「アクセルとブレーキの踏み間違え」に原因!
を統一し、「位置の錯誤」で暴走する➡位置の錯誤は「認
知症」で起こる➡免許更新に「認知症検査が必要」という
強烈なドグマを繰り返し、メディアも完全にそれに従った、
わけである。

 年齢に関係なく不注意で起こることであり、ここに年齢と
認知症を強引に結びつけ、国家的な優生政策、しかも虚構に
よるプロパガンダで国民を洗脳は世界的に例がない。

 いうまでもないが「オートマ事故」は決して「位置の錯誤」
アクセルとブレーキの踏み間違えではない、それはいくつか
の原因がある。①Dレンジに入れたまま誤ってアクセルを踏
む、②全く必要もないのにアクセルを踏みすぎる、まずこれ
が原因の大半である。位置の錯誤、ブレーキとアクセルの踏
み間違えは警察庁創始の絶対的ドグマだが、現実あり得ない。

 AT車は微速走行ならアクセルなど踏まなくていい、クリー
ピングである。だからブレーキを少し踏んだり、離したり、
アクセルもブレーキも深く踏む必要は絶対にない。ブレーキ
に軽く足を載せておけばいいだけだが、・・・・・焦って、
店の真ん前につけようとする、エゴなドライバーの場合、つ
い必要もないのにアクセルを踏むケースがあるようだ。

 位置の錯誤の踏み間違えはないが、不用意にアクセルを踏
む、または誤ってアクセルを踏むことがある、そうとしか考
えられないが、なぜ警察庁はあり得ない、全ての原因を「位
置の錯誤」にでっち上げて、メディアも完全協力したのかで
ある。実際、アクセルを踏みすぎて暴走したドライバーが警
察の調べに「アクセルを誤って踏みすぎただけです」という
と警察は「踏み間違えました、と言わないと承知しない」と
脅すケースが頻発しているのだ。あの池袋暴走でも「位置の
錯誤」で起こるはずはないのに警察もメディアも裁判所まで
「アクセルとブレーキの踏み間違えとなぜ認めない」と合唱
したのである。

 この「位置の錯誤」踏み間違え、こそは日本を「認知症」
狂信に染め上げる警察庁の一世一代!の策略となったので
あるが、それも国、行政のドグマに絶対的に協調し、その
大衆操作の役割をメディアが担う、国民はとにかく国、メデ
ィアの云うことを信じやすい、を見抜いていたからでもある。
「踏み間違えなんてあるはずない」と外国のように一笑に付
する「常識」はこの国にはないと知っているからである。

 とにかく警察庁は「位置の錯誤」踏み間違えを徹底的に
繰り返し、メディアもそれに完全に100%追従した。

 アクセを踏みすぎた、Dレンジなのに無意識的にアクセル
を踏んで暴走、Dにあるのにパーキングブレーキを掛けない
でアクセルを踏んだ、・・・・・・ではなぜ警察庁は「ダメ」
なのだろうか。現実はほぼ全てがそうであるはずだが、・・・
それらも紛れもなく「操作ミス」、「不注意による操作ミス」
であるはずだ、それでは「目的」が達成されないのか?と疑
問も湧いてくるが、・・・・ここに鍵があるといえる。

 「踏み間違え」でなくてはならない、「不注意で踏みすぎた」
「うっかりアクセルを踏んだ」では目的を警察庁は達成できな
かった、・・・・・

 警察庁にすれば「位置の錯誤」、アクセルとブレーキの踏み
間違えとしないと、「認知症」を誘引できないと考えたのであ
る。目的は日本を再び優生思想に彩られた、「精神病」利権、
また精神病名口実による権利の制限、抑圧、あらたな「優生に
よる統治」と「精神病利権」の拡大安定は不可能と考えた、の
である。

 位置の錯誤によるべダル踏み間違えが原因だ➡それは認知症
で起こる➡認知症は高齢になると発症する

 このドグマを警察庁は徹底的に繰り返し(メディアの完全翼賛
は計算済みであるし、日本人の信じやすい、という国民性も知り
抜いている)、免許更新に「認知症検査」を義務付ける、という
最終目的を達成した。これにより実際は何ら明確でもない「認
知症」という「精神病名」を「絶対的なもの」として国民に刷り
込むことができる。「認知症」信者と国民がなるわけである。

 なお交通事故といって加害となる交通事故の発生率は高齢者
は低いのである。だが「高齢者の交通事故増加」とメディアが
連呼は、国の意図に、そのドグマのため「被害者となる交通事
故数」も含めており、また高齢者自体の数が激増しているのだ
から「事故数」が増えてある意味、当然、しかし「加害者事故」
の発生率旗の年代にくらべ、まったく高くないのである。メディ
アのあまりに行政のゆがんだプロパガンダのための世論操作であ
るといわねばならない。

 イタリアが1977年だったか、あの頃、「精神病は病気ではない。
隔離でなく社会の中で交流を行うことこそ望ましい」として精神
病院自体を廃止した、とはまさに間逆な国家的姿勢である。運転
免許更新制度のない「先進国」もあり、更新制度を10年くらいに
導入しよう、という国、欧州に多く、高齢を理由に5年更新という
意見も年令による不当な差別として反対が多いのである。別に講習
会など行う国は極めて稀である。それらの国が日本と比べて交通事
故が多いわけでもない。

 だが日本は国の思うまま、警察庁がそうだ、としても政治家、
政権党が反対すれば実現のはずもないが、要は日本の政党、政治家
が優生思想、優生による統治を再度復活させたい、と考えていたか
らにほかならない。安倍政権は警察庁の認知症検査義務化に賛同し
たのである。

 なら免許を持たないものには、この優生的な行政、認知症絶対化
は無関係なのか、といえば全く違う、「認知症」絶対の日本人への
刷り込み、洗脳は精神病院利権と一体である。世界の精神病患者の
入院者数の80%は日本である。それほど日本の精神病院は多数の
入院患者を実は必要としている。そこに超高齢化社会でその高齢化
を「認知症」と結びつけてくれたら、「認知症」名目の無尽蔵の入
院患者を確保できることになる。

 日本が北朝鮮と並ぶ収容所国家であることは、やっと最近、問題
にされはじめたが、精神病院利権とその政治力の前には効果がない
に等しい。

 精神病利権、精神病院利権、また優生思想による人権の制限の
正当化その拡大のための、運転免許更新利用であり、世界に例を
みない暴挙であるといわねばならないが、現実は見ての通りである。
この国には全うな批判的言論がないのである。愚民化、洗脳の道具
となるばかりである。

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