正宗白鳥『人生恐怖図』1962,白鳥生前最後の刊行、『白鳥百話』も収録、気分は終活か?

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 正宗白鳥は1879~1962,その没年に刊行された本であり、
未完となった長編『人生恐怖図』とこれも七話しかないのに
『白鳥百話』未完の評論である。『人生恐怖図』とはまた、
いやなタイトルの作品だ、白鳥らしいが。どんな話かという


 『人生恐怖図』は英文学の教授が、甥の私立大生を連れて
、田舎から東京見物にでてきた親戚の若い女性、二人を案内
する、上野動物園から話を始めている

 「百獣の王というほどの威厳はないじゃないか。荒野を駆
け回っている時は、威風堂々としているだろうが、しょぼしょ
ぼ目で眼力も鋭くないね。そこらんも猛獣連も同様に栄養不足
のような感じがする。好きな物を鱈腹食わされないからだろう」

 とライオンやトラを見て教授の退屈なつぶやきがまず出てく
る、ということで白鳥式の冴えない心理での感想が舞っている
ようなもの。二人の上京した娘も、この前編だけでは一通りの
紹介が終わるのみで、この先、どんあ「人生恐怖図」が出てく
るのやら。それを描くはずの後編がないのだから、どうしよう
もないではないか。

 あまり論じられない『白鳥百話』が収録されているのだが、
たった七話しかなく終わっている。中絶だ。端的に言えば、こ
れまで何度も繰り返した思考パターン、語りの全て同類である
と思う。ここに至ると退屈だ。たった七話しかないのに、そこ
中でさえ、同じ話が繰り返されているから、もう七話で終わっ
て良かったように思える。でも無類の散文家ではある。

 その前か、加藤周一だったか、白鳥の評論の矛盾を批判して
いたことに対し、白鳥は

 「評論家として、整理統一スべきとは思うが、文学や宗教に
ついての感想となると、痴者のたわごとみたいな所に、案外、
心の真実性が滲み出たりするものである。私の折々の感想も
また、その妙所に達していないのだろう」

 謙遜だろうか?つまるところそれが白鳥のスタイルなのであ
るから何を云われても仕方がないというところだろう。

 七話で一番の話題は死についてである。もう死の前の執筆
だったようだ。

 「長男の私は、次男三男四男の三人の弟から教えられるとこ
ろ、学ぶところがあったのは、つまり彼らの死についてである。
年長でありながら、彼らより死に遅れたため、自ずから人生を
教えられたのである」という、これまでも多分、散々繰り返し
て述べたであろうことを、ここでも繰り返しだ。

 北軽井沢の田辺元の生活ぶりを思いやり、哲学者でもない
自分はその真似はできない、「世界一ごみごみした都会の東京
のような場所で絶命することになりそうだ。好き嫌いの問題じゃ
ない。そう運命付けられているのだ」ただ無宗教葬もなんとな
く『気が抜けた感じ」ともいうのだ。だから死の直前洗礼だっ
たのだろうか。けっして駄文に終わっていない、これこそ白鳥、
最期を飾ったというべきか。

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