広津桃子『父・広津和郎』中公文庫、自由人を追慕だが、いまいち語られない裏の顔
この本は娘さんが父親の広津和郎を追慕したまっとうな
著作である。だからよく知られている表舞台の広津和郎が
描かれる、無論、娘の立場からである。作品的はやや寂し
いが社会的な活動、さらに小説でなく評論を主に得意分野
とした、「異邦人論争」これは要は、「それほど画期的作
品とありがたがるほどの小説じゃない」という常識論を
見事に言い放ったものだと思う。中村光夫との論争となっ
たが、広津和郎の考えに惹かれる。それと松川事件、であ
る。これこそが生涯の最大の業績であり、八年もの間、通
風に痛む脚を引きずっての支援活動で全国をまわり、さら
り青梅事件、八海事件と、だが77歳で生涯を終えた。散文
芸術を規定し、「すぐ人生の隣りにあるもの」、散文精神
を「忍耐強く、執念深く、みだり悲観もせず、生き抜くと
いう精神」
その娘、桃子の記した追慕の書である。正直、広津和郎
など知らない人が多いだろうが、全編に漂う抑制された父
と娘の愛情はなかなか心打たれる。
ただし広津和郎は女癖は悪く、娘も浮気をした父、その女
から離れ、生母と暮らさねばならなかった。女を抜きに広津
和郎は語れないのだ。
雑誌『噂』1972年3月号は広津和郎を特集し数名による座
談会、その一人、福田蘭童の話
福田蘭童:さっきも触れたんですが、広津さんはとにかく、
生涯、女を断ち切ることができなかった。志賀直哉先生が僕に
「君は女を御するのがうまいから、広津に教えてやれよ」」と
いうんです。女を腐れ縁でなく、きっぱりきれいに断ち切る方
法を教えてやってほしい、というんですが。どうしてだという
と、本妻を茅ヶ崎の家において別居してしまった。それで僕は
広津さんに「原稿料が集まったのを皆差しだし、家を建ててあ
げ、別れたら」というと、「ああ、それはいい考えだ」で建て
てあげた。でも切らない、そうしたら志賀先生が僕の前で怒っ
て「広津くんは貨物列車を年中引っ張っているみたいだ。女と
いう貨物列車を」、キれなかった、その後、中央公論の女の子
に絡まれて、・・・・」
と福田蘭童の発言は続く。女にだらしがなかったのは事実だ。
そういう事情で広津は生まれた娘も抱けなかった。それを、
一生の負い目としていた。そのうえで、祖父の柳浪が和郎をい
慈しみ、和郎が父を愛したように、桃子は父を愛し、愛されて
いた。
父が畏敬していた志賀直哉、友人の宇野浩二、谷崎精二、父
からの手紙、一緒に歩いた京都奈良での思い出、自由人、広津
和郎の姿が浮かぶような筆致である。もう絶版のようだが、古書
でもいいからぜひ読んでほしい本である。
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