南極犬(カラフト犬)置き去りの第二次南極越冬隊の記録 1957~1958


 オスの三毛猫?タケシ、越冬隊隊長の永田武(東大理学部)
と同じ名前、越冬隊員をどれだけ慰めたやら分からない。な
かなか器量の良い猫、本屋の棟の上の屋根で晴れた日は日向
ぼっこ

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 ブリザードの日:南極特有の暴風雪

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 晴れた日はフットボール

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  南極での食事

 ①うどんを食べる

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 食事は寒さ対策も考えて、一人一日5500Kcalとされていた。。
基本は西洋料理が多く、5月はじめには氷面を削って保蔵の食料
が腐ったため、越冬隊の最後の40日は全く同じような缶詰と乾野
菜となったという。12月末に、中野隊員が食堂北側の砂地に撒いた
はつか大根の種子が1月中旬に2cmほど芽が出たものだけだった。
単調な食事を変えるのに苦労したのはコックの砂田隊員。隊員たち
も努力した。西堀越冬隊長も旨い雑炊を作って喜ばれたという

 ②野外焼き鳥パーティー

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 ③天ぷらパーティー

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  ④クリスマス

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 ★越冬隊の台所

 越冬隊は本来の観測業務以外に、まず生活していかねばな
らず、発電したり、食事を作り、日本や外国と通信したり、
炊事や風呂に使う水のための雪運び、燃料の補給、洗濯、発電
機の補修、エンジン整備、雪上車やイヌ橇の整備、イヌの世話、
雪かき、汚水の処分、など数多い仕事が必須で生き抜くための
条件だった。全員が仕事の鬼、鬼の一家とも云えた。

 洗濯

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 便所

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 餅つき

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 豆腐づくり

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 風呂

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 天候の回復を待つ、地質調査の途中に猛吹雪、動きがとれず
 テントを張って時間つぶし

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 アデリーペンギン

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 雪つばめ

 
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  南極の夏の夜は短い、太陽は真南に沈み、まもなく出てくる、
紫色の薄暮

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 調査旅行の途中で休憩のカラフト犬、雪上車

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 地質調査のための前進基地、スカルブスネス

  
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 雪原を行く犬ぞり隊


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 オングル島での測量

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 スカルブスネス地区で地質調査を行う立見隊員


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  天測する北村、立見、村越隊員、左から

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 採集した資料は持ち帰って顕微鏡観察

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  ★忘れ得ぬカラフト犬たち

 救出されたシロ、その子供

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 この時点でいかの14頭は絶望とされていた、宗谷がついに
接岸できず、越冬隊の救出が論議され、一部には犬も救えとの
意見もあったが、あの時点で犬の救出は無理だった。
アカ、デリー、ポチ、アンコ、タロー、クマ、シロ(オス)、
ゴロー、モク、ジロー、ジャック、、クマ、など

 一年後、やってきた越冬隊が見たのはタローとジローの元気な
姿、タローは帰還したが、ジローは残留、そこで生涯を終えた

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この記事へのコメント

killy
2023年04月12日 15:25
あの当時小学生ながら、日本は三流国家だと思いました。