江藤淳『アメリカと私』講談社文芸文庫、アメリカへの安易な賛美と思えてならない

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 初版は講談社から1969年、その後、講談社文芸文庫の一冊
として刊行されていて今なお、読まれ続けている本である。
書かれた当時、初版刊行が1969年だから執筆はそれ以前、国
力は圧倒的すぎたアメリカである。今は中国という巨大な対抗
馬がいるが、まだ冷戦、経済力はさっぱりのソ連が相手だった。
何よりもその時代背景を知っておかねばならない。

 江藤淳のこの旅行記の最大の特徴は、江藤が既に自己の世界、
更には評価を確立した一人の批評家としてアメリカの一流大学
に行ったことである。その観察、考えには賛同できるものは無
論る、あるが既に国内で批評家としてステータスを確立した江
藤氏が見るアメリカ、アメリカの大学はややそれゆえの歪みが
あると云うべきである。とにかく国内で厳然たるステータスを
維持確立の江藤淳氏がアメリカを端的に言うならダイナミック
で不安定なものと見ようとせず、どこまでも静的なスタティッ
クな世界における唯一無二の超大国の美点を、これも確立した
ものとみなすスタイルである。内部は、実は問題だらけ、矛盾
だらけなのだが、それに目を向ける真実性あるスタンスを取っ
ていない。

 だから、やたら「頭脳流出」を引き合いに出す。頭脳流出!
を江藤淳は憂慮しているようだ。

 「彼」は東大で物理学を学び、今はプリンストン大学の研究員
である、Y博士、Y博士には3つのオファーがあった。まずカリ
フォルニア大学の准教授、第二は京大から助教授のオファー、第
三は母校の東大からの、まあ助手でまずはスタートさせるから帰
てこいという尊大なオファー、Y博士は東大に帰りたいが、その
助手からスタートは受け入れがたい、彼はアメリカに踏みとどまる、

 というのだが、江藤氏は「その非は彼にはなく、日本の大学の
奇怪な排他性にある」と怒りをぶちまける。それも妥当な面はあ
るが、ここで不思議なのは、京大からの助教授のオファーの話を、
全く実質、無視していることだ。東大に限らなければ、いいオファ
ーはあるはずだ、実際に京大の話がある。日本もとにかく実力主義
に動き始めていることを、東大特有の問題に拘泥し、江藤氏は見落
している。それを把握しない限り、日本の大学の排他性論議を云う
意味も真実性もないだろう。

 さらに、実務家だけに価値を求め、「人間の知恵とか道徳」を無
視しようとする政府や、財界の人々の考えを攻撃しているのだが、
無論、一理はあるにせよ、実際に戦後の焦土からの復興を成し遂げ
たのは、実務家の努力というほかないだろう。口先の知識人はなん
の貢献もない、といって過言ではない。

 この本は評価!は高そうだが、どうも私にはそのまま受け取れな
い、眉唾な安易な指摘が多いと感じる。

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