柏原兵三『徳山道助の帰郷』1968,滝井孝作も「ちょっと新味に欠ける」と評した、あまりに退屈な作品

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 東大独文でドイツ留学、柴田翔に刺激されて小説を、なの
だが1933~1972,満38歳没、私が入院中だったか、NHKラジ
オ、小説朗読で『小さな石の物語』を長く?放送していたの
を聞いた。ドイツ留学時代の話、結局、腎結石だったか、「
ビールで押し流すことで万事解決」というドイツの名医の教え
、大成功という趣だったが、それが逆に命を奪ったとしか思え
ない。極度の肥満体質、高血圧、それでビールで解決はないは
ずだ。

 だがそれ以前に『徳山道助の帰郷』で1968年、上半期、芥川
賞受賞、即座に新潮社から単行本、でもいくらなんでも間髪入れ
ず、受賞から間髪入れず単行本刊行はないわけで、それ以前から
単行本刊行が進行中だったわけである。受賞決定から半月後の
単行本出版だから、実際、「あとがき」の日付は1967年、昭和42
年12月20日となっている。芥川賞受賞前から、かなり前から企画
されていたのである。これはまことに著者、出版社には幸運な話
ではあった。だが作品そのものの価値は受賞とも出版とも本質的
には関係ないはずだ。

 で、受賞後、わずか半月後に帯にデカデカと「芥川賞受賞」と
刷り込まれた単行本『徳山道助の帰郷』が刊行された。この本には
五篇の作品が収録されている。「徳山道助の帰郷」はまあ、原稿用
紙で200枚前後だろうか、一番、集中された力作だろうが、この作
品集で実際、、一番、なんというか、好バランスなのは「殉愛」と
いう作品と思える。他の三篇はドイツ留学中の見聞の小品である。

 で「受賞作」となった「徳山道助の帰郷」、大分県のある貧しい
自作農の長男に生まれた男で、明治36年、1903年に刻苦して陸軍
士官学校を卒業、以来、昭和12年、1937年に中将で予備役に編入さ
れるまでの職業軍人としてのまずはかがやかしい経歴と退官後は、
悠々自適で生きるつもりが、戦争は拡大の一途、ついには日本は
焦土化し、無条件降伏、軍人恩給は一旦は廃止され、何千坪の家屋
敷も人手に渡る羽目に、恩給は復活したが昔日の余裕はない。その
戦後、十年ほどの晩年を戦前と大正的に描いたものだ。柏原さんの
強調したかったのは、自作農の小倅から陸軍中将まで上り詰めた男
のままならぬ晩年を中心にし、凡愚な男の精一杯の人生を作者なり
に描きたかった、のだろうか。

 だが、あえて言うなら、筆致があまりに平板的で、前半生と後半
生を同じペース、密度、で描いたため、作者の本当に描きたかった
テーマが曖昧模糊となってそのテーマに至るまで長々と記述し、本
当に退屈極まるものだ。それに比べて『殉愛』のほうが遥かに視点
にメリハリが効いて佳作である。作者の分身の大学院生が二階に
間借りしている。その院生を観察者として50歳を超えた日本人画家
とそれより年上のフランス人女性との恋愛を描いて、本当にいい味
を出している。受賞と言うならこちらが良かったと思う。

 芥川賞審査委員の、滝井孝作、「徳山道助の帰郷」をいかにも喜
びそうだが、「ちょっと新味がなさすぎ、あまりに退屈」と貶して
いたと『文學界』のコラムに当時載っていたのは頷ける。コラム自
体も「あまりに古臭すぎる」とこき下ろしていた。

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