川村晃『美談の出発』1962,芥川賞受賞作、四畳半を舞台の戦記物だろうか、近代小説が失った素朴なドタバタ

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 やや忘れられた作家っぽいが、川村晃(かわむらあきら)、
1927~1996,満68歳没、下積みの仕事をしながら戦後の一時
時、1950年から1958年まで共産党に入っていた。筆耕などを
やりながら小説を書いていた。1962年、昭和37年の上半期に
『美談の出発』で芥川賞受賞、すぐに四作品を収録した単行
本が文藝春秋から出た。受賞作をタイトルとした第一作品集
である。もちろん、『美談の出発』

 ガリ版屋の鉄筆工の「私」は、由紀子という悪い亭主のため
「青線地帯」に身を沈めた女性と結婚するため、その子供四人
を引き取って、四畳半の一間に六人が暮らす貧乏生活という「
美談」を「出発」させる。これが本当に美談に値するのかどう
か、まず最初、多少、ひっかかる。無論、こんな出発は全く、
やりきれない苦しみの連続である。実は収録作品は連作であり、
「美談の出発」、「いけにえ栽培」、「影」と続く。

 「私」のガリ版収入は月収、せいぜい三万円、由紀子も病弱
も稼げない。しかも四人の子供と言って、二人は由紀子の亭主
が別の女に産ませたものであり、盗癖があり、愚鈍、さらに、
その亭主が女房と子供を奪われたことの復讐を企てる。

 といって由紀子と無理心中しようと思ったり、子供たちに、
もう死んでしまえと願ったり、確かに「私」のやりきれない
感情は心に染み入る?とはいえ、このやりきれなさは、何に
由来するのか、それを「私」は由紀子の亭主の身勝手さ、また
「私」の貧困のせいにする、・・・だが同時に、子供たちを、
福祉施設に入れられない由紀子の甘さ、もっと根本は「美談」
と思ってこのような生活を始めた「私」の甘い認識、楽天さ、
というほかはなかった。由紀子への未分不相応な救済意識、ま
たケジメのない曖昧な感情、いずれにせよ、そこにメスをいれ
ないと、どうしようもないわけである。その舞台である現代社
会の恐ろしい一面、そこに着目しないといけないのだが、作者
はそれをせず、ガリ版の仕事に熱中することで気晴らしをしよ
うとする。無論、「私」=作者であるわけだが、近代小説に必
要な構造的メリハリがない。分析がない、ちょっと小山清の私
小説のようだ、「美談」の中心にある由紀子も充分、描けては
いない。

 執筆時点で共産党から脱党していた作者だが、それは脱落者
という視点を生んでもいいが、それも見当たらない。古臭い被
害者意識に寄りかかった貧乏譚だろう。

 こう書くと、およそつまらない小説に見えてくるかもしれな
いがそうなっていない、ところが面白い。近代小説が失った、
細かな小賢しい分析とは無縁のありふれた庶民の生活ぶりがある、
その活気というのかどうか。四畳半の戦記物めめいた魅力がある、
ということだろう。

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