丹羽文雄『蛇と鳩』1953,浄土真宗ゆかりの作家が描く戦後の新興宗教、宗教への傍観者的スタンス

丹羽文雄はある意味で宗教作家という基本的な性格を持つ、
それは浄土真宗高田派の末寺に生まれ、その内部、閉塞され
た寺院における愛欲の地獄、修羅場を見ての「鮎」、「菩提
樹」、「一路」などにおける文学性、・・・・・では戦後の
いわゆる「新興宗教」を描いたらどうなるのか、別に「新興」
だから悪、「古くから」なら善というのも滑稽だが、日本は
「新興宗教」を袋叩きにする気風がメディア、社会に顕著だ。
「人は死んだら仏様になります」という仏教の本質を考えた
らこれほどの謗法もないだろうが、葬儀産業として旧仏教が
生きていきていくには「人は死んだら仏様」は絶対に譲れな
い、だから「新興宗教も旧仏教も大嫌いだ」という人が多い
日本だが「葬式でお世話になる」旧仏教寺院は衰退しても、
完全に廃れることもない。日本は確かに唯物主義の国と共通
の「宗教否定」の風土はある、寺院は「宗教ではなく葬儀業」
だからいい、ということになるのだろうか。だが他方で日本人
は宗教に救いを求める傾向も強い、それに杉産業が本質の旧
仏教は応えない。新興宗教は決して否定出来ないものだ。
そこで丹羽文雄は戦後の新興宗教をどう描いた?丹羽文は
宗教にテーマを取った作品は書いても宗教者ではない。
鉄鋼会社の重役の古久根は宗教はくだらない時代遅れな観念
と軽蔑している。戦後、民衆の間ににわかに勢力を得た新興宗
教は、だが企業としては素晴らしいと思っている。彼は宗教関
係の本を集め、自分の家に寄宿している青年社員の緒方を腹心
に据え、現在栄えている多くの新興宗教の内情、組織を探らせ
た。他方でロボット的な教祖的人物も探した。
古久根は重役業をやりながら、大仕掛けな国際的麻薬密輸団
の立役者になっている。やがて工員上がりの祈祷師で、破廉恥
罪で訴えられている美男の教祖的人物が見つかり、古久根は密
輸で儲けた莫大な資金を注ぎ込んで紫雲現世会という新興宗教
を立ち上げる。長年の研究で組織を作り上げ、運営の力、今日
的な功利主義的教義や巧みな宣伝方法でそれは一応の成功を遂
げる。
ところが麻薬密輸が摘発され、さらに緒方ら腹心の裏切り、
教祖予定人物の結婚相手の逃亡、早くも紫雲現世会は暗礁に
乗り上げる。
まずこういうストーリーだが、要は新興宗教のみならず、
戦後のアプレゲール、アプレの世相を描こうとしたと思う。
頭で考えただけなのか、実際、似たようなものを身近に見た
からなのか、分からないが。モデル的宗教の基礎にある企業
経営を解明している。
新興宗教はkしからぬ、確立された伝統宗教以外は叩き潰せ、
怪しい存在だ、と云うのがある意味、日本の風潮だ。だが丹羽
文雄は決してそのような立場を取っていない。あまりに企業的
であることを暴露的に書いているようにも見えるが、新興宗教
も人を救うという点では旧来の宗教より力を持つ点は評価して
いる、実際、、旧仏教の寺院内の腐敗をいやというほど見た丹
羽文雄である、新興宗教が蛇で信者が鳩、としてもその価値は
否定されないという確信に立つ。つまるところ宗教をテーマに
文学を書いても丹羽文雄自身は信者ではない、旧だろうが新興
だろうが宗教自体には傍観者である。これこそが本質であろう。
ただ都合よく構成されすぎて真実味には欠けている。
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