江崎誠致『十字路』1963,日本共産党の惨憺たる犠牲になった政治的体験、お人好しも度が過ぎる
久留米出身の大作家、江崎誠致(まさのり)の長編小説である。
「ルソンの谷間」で直木賞、文壇きっての囲碁の達人で長く、
文化界囲碁訪中団の団長として10年以上も訪中を重ねた。この
作品を「死児の齢」、「ルソンの谷間」、この「十字路」、「
肺外科」という一大自伝小説と見なすことが出来るだろう。
主人公は福田正夫、無論、作者がモデルである。本当に不屈
の魂の持ち主だ。同時にあまりにもお人好しで読者が地団駄踏
む、ということにもなりかねない。旧制中学を中退、上京し、
出版社(実際は小山書店)に入社、編集より営業の仕事を希望す
る。応召し、幹部候補より地位の低い一兵卒を希望する。散々
な体験の後、帰国、戦後は「貧乏人の味方」?日本共産党に入
る。党でも指導者になるより、裏方の地味な仕事を望む。そう
いう男である。
朝鮮戦争が始まる、マッカーサーから公職追放処分された幹
部に逮捕状、激しい内部分派闘争のさなか、徳田球一派の幹部
は地下に潜行、そういう1950年の夏の日、出版社から独立し、
小さな書店を経営の福田正夫は地下に潜った9人の幹部の一人の
岩手から秘かに大きな仕事を依頼される。潜行生活には資金が
必要だから、裏資金を確保してくれ、という内容。後の悪名高
い、「トラック部隊」の仕事である。
戦争と弾圧から共産党を守るべきという信じ込んでいる正義
漢の福田はその無理難題を引き受ける。福田は自分の書店を潰
し、その資金を元手に東奔西走、紙業界にいる党員たちを組織
し、裏金作りを行う。だが党に忠誠のフリをして私腹を肥やそ
うとする者も出てくる、共産党の無理な頼みで多くの犠牲者が
出る。
福田も無一文となって昔からの同業者からの信用と友情を頼
りに妻と二人で紙のブローカーをやる、それは多少儲かり始め
た。だが金は全部、共産党に巻き上げられる。だが好き好んで
やっているのである。だがあまりに下劣な党員が多いのに失望
し、また共産党の党員使い捨て、のやり方に怒りを感じ始める。
かってに部下だった民青出身の熊尾勝治と血のメーデーで
再会、二人で出版ブローカーを始める。党にさらに尽くそうと
する。だが党は二重、三重の組織を利用し、約束のカネも払わ
ない。党の地下組織は詐欺組織に転落していた。
かっては純粋のはずの熊尾にも裏切られた福田は共産党の絶
縁を考える。党の幹部の一人がバナナ持参で謝罪に来たが、そ
のバナナで子供が感染症になって死んでしまう。葬式に共産党
からは誰も来ない。挙げ句に過労で福田は喀血する。
まさに共産党によって踏んだり蹴ったりの散々な体験をした
福田、そこでこの小説は終わる。本当に共産党への怒りを抑え
て書いたのだろうが、それが一層、日本共産党の非人間性と欺
瞞さを思い知らされ、読者の方が怒り心頭になるだろう。
戦場では負傷した専有を担いで何日も行軍するなど、その自
己犠牲のヒューマニズムは一貫しているが、どうも大きな権威
に盲従しやすい性格は明らかに存在し、その本質を見抜けない
という欠陥も見て取れる。それゆえ、今一歩の手前で偉大なる
文学者になりきれなかった、という憾みが残る。
この記事へのコメント
共産党に対する献身や自己犠牲も裏切られて、最期は師の太宰治の墓前で自死してしまう。
今度田村さんという女性が党委員長になって、清新なイメージに変わるかと思いきや除名者への非難とそれを擁護する代議員への糾弾に始終していました。
党のためをおもって心ある忠告や提言をする党員はいつも切り捨てられ、俗悪・卑小な人間ほど出世する仕組みは今も昔も変わっていませんね。救いは江崎さんが新しい世界で活躍されたことですが、作品が少ないのが残念です。