櫻井忠温『哀しきものの記録』1957,文藝春秋、日露戦争で重傷、陸士卒の真実の叫び
日露戦争に陸士卒で若い中尉として従軍した著者、櫻井
忠温さん、乃木司令官のもと旅順攻撃部隊に編入され。ロ
シア軍の砲台によじ登る途中で銃弾を受け、重傷を負った。
右手首の関節は砕かれ、脚も折られた。体中に銃弾を浴び
た。右手首は吹き飛ばされた。
櫻井さんはそのまま仮死状態、火葬される寸前に意識を
取り戻し、野戦病院に送られた。その後、、旅順攻撃に取
材の『肉弾』を執筆、当時のベストセラーになった。櫻井
さんは、この本の中で、左手でペンを持ち、大きな字で巻
紙に肉弾の原稿を書いたと述べている。その巻紙の量は風
呂桶一杯分くらいになったという。各国に翻訳され、国際
的なベストセラーになり、アメリカのセオドア・ルーズベ
ルト大統領の激賞を受けた。
櫻井さんの生涯は、この旅順攻撃に凝縮されている。『
哀しきものの記録』もそれが中心となっている。乃木大将が
酒を飲み、士官たちを行列させ、その先頭に立って踊りまわ
った話とか、戦没者の実家を一軒一軒訪ね、仏壇に頭を垂れ
て歩いた話、口先だけの慰霊ではなかった。
だがそんな話より、櫻井さんと一緒に戦線に出て死んでい
った、名もなき数しれぬ兵士たちの身の上話のほうが遥かに
心にしみる。戦争とはこんな人達をも無惨に殺してしまう、
その後、時代は下り、櫻井さんは張作霖時代の満州に勤務
した。その当時の思い出話は面白くはない。軍部自体が悪質
貸していてそんな経験しかなかったのだ。
最後にこう書く「死ぬるものは死んだ、死にたくなかった
のが死んだ、生きている者も生きているだけだ。陰でどれほ
どの人が泣いたことか」
「士官学校に送り込まれ、兵士にし立てられた人間は兵士
としての値打ちしかないのは当たり前だ。商売もいまい、駆
け引きもうまい、というのはロクな兵士ではない。兵士は能
なし猿なのだ。それが当たり前なのだ」
「雑誌にでも書こうと書き溜めたもの、これで机の中のものを
出し終えた感じです。戦争は国と国の争い、個人は関係ないで
すよ。なんの恨みもない人間が殺し合う、こんな馬鹿な話はな
い。旅順で負傷したら隣りにいたロシア兵がキリスト像のある
守札を私にくれた、・・・・・」
櫻井忠温 さくらいただよし1879~1965,松山市生まれ、
陸軍士官学校を出て1902年、少尉に。日露戦争に連隊旗手
で従軍、旅順で右手首喪失などの重傷、その体験記『肉弾』
では内外のベストセラーになった。1930,陸軍少将で退官、
1962年、松山坊っちゃん会を設立、初代会長になる。東京か
ら郷里の松山に移り住む。1964年、愛媛県教育文化賞受賞
78歳の櫻井忠温さん
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