有吉佐和子『断弦』1957,あまり不体裁で未熟を極める、習作以前である

実質、有吉佐和子の最初期と云ってよい作品だろうか。
地唄の名手にして芸術院会員、さらに大検校を名乗る老人
がいる。彼の一人娘が二世のアメリカ人と結婚したことに
対し、大検校!は大いなる不満を持っている。家にも入れ
ない。文通も許さない。
彼の生活は女弟子に面倒を見てもらいながらの寂しいも
のだ。弟子は多いが、さりとて自分の芸を伝えるほどの弟
子もいない、そこで自分の芸を残しておこうと、当時はま
だ珍しいテープ録音をしようと思った。そこで家を出た娘
にテープレコーダーを操作させ、三味線を取って地唄を唄
い始めた、途中で三味線の糸が切れてしまった。それでも
彼は二本の糸だけで「支障なく弾き続けていた」これがこの
「長編小説」のラストである。
たったこれだけの話を300頁にも及びそうな長編小説なの
だ。超短い短編で十分に思える。
だが、なぜ有吉佐和子はこんな長々と作品化したのか。そ
の必然性はどう考えても見当たらない。年老いた大検校の地
唄への妄執、その情念と葛藤を深く掘り下げた、わけでもな
く、老人と娘との葛藤、争いも追求しているとは思えない。
では話として面白いのか、というと全然面白くも何ともない。
要は長編になり得ないものを無理やり長編に仕立てたわけ
だろう。だが構成は考えられていない。ただ長編作家として
作家生活を送りたい、だから長編に無理やり、だろうか。だか
ら同じことの繰り返しがやたら多い。また老人と娘以外に登場
人物は出てくるが、その意味がわからない。作品における、何
の必然性もないように思える。したがってその描写、表現も、
「字数稼ぎ」のようでいい加減だ。
読んでどこにテーマがるのやら、文学性があるのか分からな
い。まずこの段階で有吉佐和子は長編を書く力などなかった、と
云う証明だろうか。文章がまたひどい、
「還暦を過ぎて彼は老いたりといっても、既往若くて名人の
賛を獲っていた現在の芸術院会員は、腕も決して下るどころで
はなかった
この文章は支離滅裂である。もうちょっと勉強して小説を書い
てほしい、といって遥か前に亡くなっているのだからどうしよう
もない。
若い時代に書いたようだ、発表は26歳だった、執筆はずっと若
い年齢だった?
事実調べもおろそかを極める。
「日本帝国は文化国家たるべしとの意図から時流に先駆けて建造
された当初は華やかであった日比谷公会堂も、今では都の予算の程
度をしめすよう悲しさが古びた外壁にしみついている」
「メーデーの労働歌も震災のときの鮮人たちの奇声と同じように
怖ろしかった」
とんでもない誤りというのか、間違ってもいるが不見識も重なって
ひどい。
気取った言葉がやたら多く、文章として全く消化されていないと思う。
言葉だけが無理に並べられたという感じだ。二世のアメリカ人の英会話、
その英語がまたまた間違いだらけである。23歳ころに書いたとも云われ
るが、要は習作だろうが、それでもひどい失敗作だ。
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