ドミニク・ラビエール『さもなくば喪服を』スペイン近代史を背景に闘牛士の闘いの生涯を描く、迫力と洞察の力作

『パリは燃えているか』をコンビで書いた、仏米の二人の
ジャーナリスト、ラビエールとコリンズの第二作目がこれ
だ。まさに恐るべき闘牛との戦いに行く弟の身を案じて悲
しむ姉に対し、「泣かないで、・・・今夜は家を買ってあ
げる、さもなければ喪服を」と言い残し、出ていく若き闘牛
士の主人公の・・・・この言葉が「さもなければ喪服を」が
作品タイトルになっている。
スペイン内乱、市民戦争の起こった1936年、貧しい家に
生まれたメヌエル・ベニテスが共和派の父を戦争犯罪者とし
て奪われ、過労と栄養失調で母は死んでしまい、孤児となっ
て悲惨な境遇から生きるために闘牛士を目指し、1964年5月
、スペイン全土を沸かせた闘牛を行う、というのが大まかな
あらすじだろう。
だが、しかし、不世出の天才的な闘牛士、マヌエル・ベニ
テスの闘牛歴はスペイン内乱から戦後、現代のスペインに至
る30年史でもあった。欧州にありながら、非欧州的な性格を
もったスペイン、名誉と勇気と信仰心、に満ちた国民性だろ
う。だがその現実は苦悩と哀しみに尽きる。フランコ体制は
圧政だった。スペインで若者が溌剌と輝けるのは、半ば、打
ち上げ花火のような闘牛しかなかった。著者二人組は、マド
リードの闘牛の光景と、マヌエルの育った背景、状況を何だか
映画的手法で描いているようだ。
闘牛と云ってヘミングウェーが簡単したような気品と優雅
に満ちたものではなく、伝統も約束事も無視したスリルに満ち
た興奮させる、ドキドキの瞬間芸だ。
スペインとは何か、これこそが真のテーマではないのか、ス
ペインには「怒れる若者の群れ」がいる、その英雄としてマヌ
エルである。闘牛場を埋め尽くす大観衆、そのテレビ中継にか
じりつく、スペイン国民、戦慄である。フランコ総統もマヌエ
ルに魅入られる。ついにフランコに招かれ、二つの世代の、若
い世代と世界を代表するような「さもなくば喪服を」的な思い
なくしてスペインの歴史は語られない。フランコの老いていく。
夜明けが近い、恐るべき歴史の洞察とスペインの闘牛場の興奮、
文句ない力作だ。
この記事へのコメント