高見順『都に夜のある如く』1956,二人の中年男の恋愛譚が当時の新東京風物詩で語られる

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 この作品は現在はKindle unlimitedで読めるし、料金を普通
に払っても読める。全7話からなる、「感じのある娘」、「
浮気な灯影」、「いかがわしい密器」、「見事な虐待者」、
「東京の不知火」、「川開きの夜」、「捨てられた男」である。

 ヴェルレーヌの詩

  都に雨の降る如く

  わが心にも涙ふる

  心の底ににじみいる

  このわびしさは何ならむ


  訳者は鈴木信太郎だが、これをもじって誰かが

  都に夜のある如く

  わが心にも夜がある

  夜のしじまに忍びくる

  このときめきは何ならむ

 と書いたZ氏?の即興詩からタイトルは生まれている。
時は1955年ころ、昭和30年ころ、焦土から復活した感の
ある東京だが、まだまだ、整備には程遠い。この小説全体
ににじむのは侘しさ、それと、ときめき、だろうか。七つ
の物語からなる。

 二人の中年の男の恋物語である。中年男は若い人のような
恋愛はできない。だが恋愛はしたい、今のままでは侘しい。
妻がある身での恋愛は、その終末は結局、女を騙したことに
なる。そうならず、後腐れない恋愛はできないものか、二人
はそんなことを話し合うのだ。二人は旧制高校からの同級生
である。一人は美術商、一人は作家である。後腐れない恋愛
なら女も望んでいるだろう、そういう女と恋愛すればいい。

 二人の中年男は不埒にそんなことを考え、美術商は娘のよ
うな二十歳すぎの若い女子学生のことを想い、作家は仕事部
屋にしている旅館の、三十半ば過ぎの女将を想う。

 二人はそれぞれの女を恋し、時々逢っては二人で恋愛を論
じ、恋の悩みを慰め合う。美術商は当時の言葉の「アプレ」
の小娘から虐待されることに甘んじ、別れると言い出される
ことをひたすら怖れている。

 作家は嫉妬からの自己虐待に苦しみ悩み、それから逃れよう
として女性虐待者になろうとする。だが美術商は、下手に出る
ことをやめた途端に「さよなら」と言われ、作家の方は女が
妊娠し、子供を堕胎すと、「誰も、もう好きにはなれないわ」
と云われ、去られてしまう。

 二人とも、望みどおりにか、女の方から捨てられるのだが、
心の底は暗く、侘しいものだ。

 高見順はこのような話を、東京のあちこちの風物、ー月島の
夜市、薬研堀の羽子板市、日限りお祖師さまの「お蛙さま」と
「おじょうにょうさま」川開きの花火や、新橋、浅草、上野な
どの移り変わりを語りながら、進めていく。趣向の変わった東
京案内でもある。

 宿屋の女将の下町っ子の性格を、まだ残っていた下町の風俗
の中で生き生きと描き、中年男の恋の悩みを隅田川の流れとと
もに、読者の心に染み込ませるようだ。

 浜町公園裏で、花井お梅の箱屋殺しを語り、そこで「わたし、
赤ちゃんを殺しちゃった」と女将が告白するような趣向は、正
直、鼻につくイヤな感じというほかないが、全体が作り物、拵
え物となっていないのは、なかなか見事かもしれない。苦しい
恋をする者が、妙にあちこちを歩きたがる気持ちも自然に出て
いて、東京のあちこちを案内されたかのようだ。それも今から
考えると懐かしい過去の古い東京でもある。美術商がアプレ娘
から別れを宣告される場所を、昭和通りの、東京都は当時、思
えないような洒落たレストランにした、のもいい味を出してい
る。

 斎藤茂吉が自作の歌について語った「一種の悲哀に似た感慨
」という言葉を高見さんはたびたび引用している。やはり高見
さんも「一種悲哀に似た感慨」をもって、この作品を書いたの
だろう。高見さんの作品では素直な感情が流露していると想う。

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