消息不明の大学時代の友人(別の大学)を探しているが
私は神戸大学時代は大学内には特に友人がなく、ある学外
のグループで知り合った関西学院大学の学生だけが友人?と
云えば友人であった。いたって友達甲斐のない男だったが、
でもそれなりに親しく話せる、という意味で貴重な、希少な
存在にいわば、唯一無二の友達甲斐のない友達だった。実家
は宝塚市の中筋というところで、造園が多い。豪壮な造園業
屋敷と言えなくもない、カイヅカなどを育てる田んぼもある
とか言っていた。あの辺り、昔は小池村とかいっていたそう
で、阪神地区に割と多い「小池」の総本山みたいな家?だっ
た。
スタン・ハンセンが全日のリングに乱入、ファンクスを
殴打し始め、ジャイアント馬場が怒りのチョップ、馬場はこ
ここでハンセンを退散させた、

しばらくした彼は宝塚から西宮の私の寓居にやってきて、
開口一番
「馬場はつえーなー」
だが私が広島に行ってぷっつり音信不通に、まあ、それなり
の理由があったのかもしれないが、しかし今もって釈然とし
ない気分なのである。生きるのが難しい傾向はあった、だから
生きるのに難渋はわかる、割と秀才なのに不遇だ。不遇という
点で共通性はあるが彼は家庭には恵まれ、家族の理解はある。
その点は私にまさること数十段だが、それはかえってプレッシャ
になったかもしれない。
私は大学では基本、友人は乏しく、バイトなどでの友達が多い、
それとて全て音信不通である。だったらネット、SNSでそれらの
名前が見いだせないかと想い、時々、検索するが、皆目、誰も
ヒットしない。
もう音信仏になって、下手したら40年に迫る。もう無理?かと
も想うのだが、年齢的には私よりずっと若いのである。よほどの
ことがない限り存命!だと思うが、かれは関西学院大学商学部で
あった。
実家は宝塚なのでそのあたりをサーチしているが、あ!いた、
と思ったら一字違いである。マンション居住、もしや婿養子に
でも?と思ったが、マンション居住では説明がつかない。
全く情報はない、実家は造園、近所に同業が多いから、その
一つに事情を説明し、消息を尋ねる手紙を出そうか、と思いながら
何十年も過ぎてしまった。
昔の知り合いを探しています、とはよくある話である。実際、
音信不通となって長いと心配なものだ、せめて行きていてほし
い、と願う、ものだが結局、分からないというケースが多い。
生涯で友人と云えるような者は実際、少ない。その一人だけに
長年密かに探しているが一向に緒がない。実家のストリートビュー
は豪壮な造園業者の家屋だが、真っ昼間でも雨戸が閉まっている。
もう住んでいないのか、と思うべきなのか。映画「舞踏会の手帖」
というとおかしくもあるが、そんな年齢になったということか。
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