『豆腐屋の四季』松下竜一(講談社文芸文庫)なんとも清冽な青春の想い

初版は1969年、講談社から刊行だが今なお、講談社文芸文
庫などで刊行され続けている。ちょっと見ると、老齢の豆腐屋
さんの追想記かな、と思うこんでしまうが、実は青春の書であ
る。でも初版から半世紀以上が過ぎている。もう亡くなられた
が、そのヒューマニズムに徹した社会的活動は不滅である。
著者はこのように書き初めている。
「ふと一冊の本を想った。・・・・・小さな平凡な豆腐屋の、
過ぎゆく一年の日々を文と歌で綴ってみようというのだ。それ
は、ひっそりと退屈で平凡な本にしかならぬだろう」
さらにこうも
「今、私は三十歳。妻は十九歳。青春である。私は二十代の
後半まで、自らの青春を圧殺して、ただ黙々と働き、耐えるの
みだった。今、やっと遅い青春が、ひそかな讃歌で私をくるも
うとしている。これからの一年、どんな悲しみが書き込まれよ
うとも、『豆腐屋の四季』は、まさしく私と妻の青春の書であ
る」
そして一年後、この著者の願いはそのまま果たされたのだ。と
云えばもう十分なのだろうか。著者、松下竜一さんは九州の田舎
町の豆腐屋である。しかも、もともと虚弱体質でありながら、機
械化を情けなく思っていたようで、まことに手間がかかる重労働
の豆腐作りを限りなく慈しむ感性に優れた心優しい青年だった。
その過去は必ずしも安穏ではない、貧困と、家族離散、トラブル
続き、自殺志願で家出したこともあったという。
だがその後の松下さんを支えたものは、生活からにじみ出される
歌、短歌だっったというのだ。
例えば
父切りし豆腐はいびつにゆがみい
父の籠もれる怒りを知りし
自分で作った豆腐が出来損ない、失敗で腹立たしくなり、怒り狂
って土間に豆腐を投げつける。老父はおろおろして後始末する。「
せめて半値で売ればいいじゃないか」と残った豆腐を切り分けよう
とすると松下さんはまた怒り狂う。だが父の怒りも身にしみる。
成人を迎える妻への歌
成人の妻の目覚めを我が祝がん
雪山築けり夜業の間に
実際、ささやかな青春の記録だが見事に本が刊行継続だ。でも実に
ユニークな本である。
その後は社会運動、人道的運動に尽力された。
松下竜一(1937年2月15日 - 2004年6月17日)67歳没

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