正宗白鳥『文学の行衛』(雑誌『群像』1952年12月)に見る「文学の鬼」

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 正宗白鳥の真髄は小説ではなく、数しれぬ評論であるが、
戦後、昭和27年、1952年の『群像』12月に掲載された「文学
の行衛」その戦後の混乱の中、正宗白鳥が文学をどう考えた
か、示唆に富む評論である。全集収録である。

 白鳥は志賀直哉の「暗夜行路」を日本の近代文学の最高峰
とみなす「通説」に対し、明治から昭和に渡る様々な名作に
ついての自己の意見を述べ、今後の日本文学の進む方向性を
探っている。

 「芸術至上主義でない私は、小説を読みながら、人生の行方
をしろうとか探ろうとかいう気持ちを絶えず持っていた」

 しかし「芸術には芸術としての求むるところがあり、自我の
克服のような、倫理道徳修行なんかどうでもいいと思っている」

 「私は文学作品の上に自己の影を見ることも多く、また自己
の空想の資料とすることも多いのだが、それは私の生存に最も
必要なものだろうか、・・・・・もう沢山だ、という感じがし
ないでもない」

 「私はこれだけ文学作品を読み続けてきたのだから、文学に
救いがあるなら、何かの救いを得てもよさそうなものだが、そ
れはまだないのである」

 「敗戦を知らない過去の作家はお目出度い作家であり、人間の
本質を知らない作家だと思っている」

 こんな感想を述べたあとで白鳥は、

 「敗戦後の日本の、兎に角、危ない綱渡りをしてきたものの、
この先、どうにもならない所に落ちつく時代の空気を身に染ま
せた上で、それを娯楽化した小説が現れても良いのではないか」

 「今までの哲学や文学の標準から云うと、哲学でも文学でも
ないものが出てきても良さそうだ。人騒がせに、そんな者が出
てきてもよさそうなものだ。新聞小説の形を取って出てくるかも
しれない。あるいはラヂオによるかもしれない」

 などと空想する。比類なき評論家、文学者との名声を得ていた
白鳥が戦後の混乱、ドサクサをどう見ていたのか、芥川が白鳥の
『ダンテ論』は空前絶後の独創的なものだと感嘆した、あの感性
はまだまだ死んでいないと思わsレウ。衰えはない。絶えず新しい
世界を見据えている、宇野浩二を「文学の鬼」と言うのは誤りであ
り、正宗白鳥を「文学の鬼」と見るべきかもしれない。

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