野坂昭如『生誕の時を求めて』1975,小説として時事に流され過ぎか

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 新平という名の青年がいる、「挫折の世代のあとに現れて、
無関心で心優しい老いた若者」だという。ホモの友人に何か
仕掛けられて、そん何ほしいならどうぞ、「女を相手にする
より積極的に」振る舞ってしまう。円に喩えたら中心がない
みたいで、半径も定まらない。円周もあるのかないのか、ま
あ新型人間か。その新平はなぜか労せずして二億円を持つと
云う金持ちになった。いかに浪費しても、今とは異次元の高
金利の世界、利子が貯まるばかり、倦怠しきった中年男がパ
トロンにつき、二人で東京を破壊しつくすプランを立てる。
まあこれが大筋だろうか。

 破壊工作に雇ったのは旧軍人、死期に近い老人、障害児、
死体運搬運転手、水子処理業者、もう未組織の労働者、山谷、
釜ヶ崎の住人もあてにならない。という判断が有るようだ。

 で、誘拐、銀行襲撃、ガス管破壊、水道管破壊、東京破壊作
戦が延々と展開される、これが300頁近い、野坂の世界総決算
なのだろうか、語り口は熱い、人違い誘拐、淫乱殺人まがいの
無意味な人質殺し、老婆たちのテロリズム、野坂さんらしいが、
三菱重工爆破に触発?悲惨シーンの描きがうまい、感心できる。
若者の解放区出現、心情三派だった野坂さんだからな、だがこ
れはつまらない。最終章、「逆ユートピア」を読めば、作者は
解放区にも若者にも幻滅していると分かる。だからどうも、読
後は欲求不満になりそうだ。もっと徹底したら、と言いたいが。
破壊愛好、だが時事、三菱重工爆破などに流されすぎているから
小説としてはちょっと、であるそれも承知だろうが。こんな作品
も書いていたんだナ、野坂さん、合掌。

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