「ささきふさ作品集」佐々木房、1956、佐佐木茂索夫人の30年にわたる心象風景、忘れられた女流作家
芥川門下にあった佐佐木茂索、その夫人となった「佐々木
房」ささきふさ、さんのほぼ三十年にわたる作品をその死後、
まとめたもの。古書でのみ入手可である。佐々木房、1897~
1949、父親は長岡安平。青山学院英文科卒、卒業の1919年、
大正8年に子供向け聖書物語の「イスラエル物語」を処女出版、
23歳であった。続けて「葡萄の花」、「断髪」、「ベテレヘ
ムの宿」「愛の純」など刊行、大正12年、1923年、「万国婦
人参政権大会」出席のため訪欧、大正14年、1925年、芥川龍
之介の媒酌で佐佐木茂索と結婚、昭和3年、1928年「女人芸術」
に参加、昭和5年、1930年には短編集「豹の部屋」、戦時下は
伊東に疎開、昭和24年、1949年に53歳で死去、・・・・・
大正昭和の代表的な女流作家だったが戦後間もなく没して、忘
れられた作家になった。女癖の悪かった山田耕筰とも愛人関係
にあったともされる。
戦後間もなくも新刊があった、佐々木房さん、その30年に及
ぶ作家生活の多くの作品から九篇の作品、短編が収められてい
る。ごく初期から最晩年までの期間に渡る作品集だから、ほん
の何時間かの読書で作者が歩んだ30年の歳月を一気に縦断でき
るわけである。これは恰も高速度カメラを見るようなものであ
り、時の織りなす浸食作用を目の当たりにすることになる。
その作品のイメージだが、基本的に全作品に得も言われぬ、
苦痛な感情がみなぎっている。初期の作品、1925年の、作者
29歳時の「ある対話」は「進さん」と呼ばれる作家と結婚し
た話、この年に実際、作者は佐佐木茂索と結婚しているから、
その実体験と思うが、夫は勝負事に凝り、外泊する。また昔
の女とのよりを戻そうとする。だが不思議と嫉妬は覚えない。
逆に夫を許すことに喜びさえ覚える。やがて「異臭を混えぬ、
いわば単臭の中にらくらく呼吸できる朝」にすがすがしさを
覚える。時には意地悪い応酬をとも思うが、病身で引きこもり
がちな彼女は、思うばかりで倦怠に身を沈める。
四年後の「思い合わす」では、この苦悩がかなり鮮明のよう
で、与えるのみで奪いえない女の悲劇が
「取られるべきものがあるとすれば、与えるに躊躇する私で
はなかった。私は惜しまず与えることに天上に行くような悦び
さえ感じさえした。しかし夫の摂取したものは、いよいよ募る
私への期待だけだ。私は与え尽くすして破滅するだろう。私に
ぶつかる男はすべてスポイルされるだけなのだ」
と実に激しい言葉で語られる。よく昭和5年、1930年の「
誰のダイヤ」となると、主人公は「義足を取った彼を見たい
ばかりに」無一文の青年に「初めて彼女自身を与え」「ババ抜
きのババを譲った幸福感」の中でダイヤまで与えるという自虐、
戦後の作品「おばあさん」は戦後の不自由な生活の中で、夫
に気を使いながら、本家の折合いの悪い93歳の老母を引き取る
、という話「子のないかわりに、老女と老犬の面倒を見ようと
いう自分に苦笑せざるをえない」その続きか「ゆがんだ格子」
ではそんあ「私」が雨の夜、すれ違った少女や、丸顔のかわい
い靴磨きの少年に惹かれるが、二人共姿は見えなくなった。「
私」は自分の安っぽい感傷が平手打ちを食ったような白々しい
孤独に戻る。
戦前から終戦直後まで女流作家として知られていたが、しょ
せんは林芙美子にも平林たい子にも宇野千代にもなれる道理の
ない、ただ暗さに満ちたイメージだ。作品はどれも「華」がな
く、造形性に乏しい、主題が読者の共感を誘い得るか疑問が湧
く。だが作者の誠実極まる三十年の心象風景描写は心にしみる。
なにか寂しい風を感じる作家だ、忘れられたのも仕方ない面が
ある。
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