『スカルノ大統領の特使』鄒梓模回想録、(中公新書)1981、スカルノに計画的に献上された根本奈保子(デヴィ夫人)など

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 例えの話、あの最初の『モスラ』東宝、小美人の歌う「モ
スラの歌」(古関裕而作曲)はデタラメを歌っているのではなく、
「インドネシア語」の歌詞である。単にインドネシアが南洋
の国、というだけではなく、日本との戦後も深い関わりがあ
ったことを示しているエピソード!だと思える。戦時下でも
インドネシアは戦地とならず、「ジャワは極楽、ビルマは地
獄、死んでも帰れぬニューギニア」とされ、日本降伏後は、
その残された兵器でオランダの再植民地化と戦い続けた。実
は日本と戦後、真の意味で友好的であり続けたのはインドメ
シアであった。だがその内情は複雑を極めた、その「調整役」
がカリスマ性と演説力に卓越したスカルノだった。

 中薗英助のスパイ小説『密書』を読んで人など多くはない
だろうが、そこに出る鄒梓模、チョウ・シン・モを知ってい
るだろう。インドネシへの賠償問題で岸信介首相とスカルノ
大統領の間を仲介、暗躍する鄒梓模、チョウ・シン・モを『
密使』のモデルである。日本の国会でも野党から攻撃された
事がある、1959年、岸政権当時だ。

 この本、中公新書は知る人ぞ知るで半ば神格化されたた、
鄒梓模の回想録であり、その聞き書きをもとに訳出編集した
ものである。したがって日本とインドネシアの関係にまつわ
る政財界の内幕にあまりに具体的触れていて、それがために
訳者はその関係者から裏を取ることも怠っていないそうだ。

 単なるきれい頃ではありえない、戦後の日本とインドネシ
アとの賠償に始まる多くの関わり、その舞台裏である。いたっ
って赤裸々である、スカルの大統領が来日、銀座のホステスの
根本をナンパして連れ帰った、という単純な話ではなく、意図
的なものであり、東日貿易という会社を通じて根本奈保子をス
カルノ大統領に「献上」したプロセス、それが第三夫人デヴィ・
スカルノとなったのだが、そのまた自殺未遂がインドネシアの
精二を大きく揺るがしたなど、興味をそそる話もある。国軍、
共産党、イスラム勢力をバランスよく「統治」し、バランサー
として君臨したスカルノだったが、常に崩壊の危機があった。

 要はインドネシアの戦後史における日本の関わり、である。
実はスカルノは賠償問題当時から、容共としてアメリカ政府か
ら見限られていた。常に失脚の瀬戸際にあった。それをかろう
じて救っていたのが日本の後ろ盾、であり、アメリカのなだめ
役でもあったという。鄒梓模がそう云っているのだ。だが、日
本の後ろ盾もスカルノの中国共産党への接近で失われ、インド
ネシア国軍もスカルノを見切り、瞬時に失脚した。戦後アジア
、特にインドネシアへの日本の支援、影響力を考えさせる回想
録ではある。デヴィ夫人の話はよく知られているが、「持ち返
る」のは単純な話ではない。これにより、スカルノくみしやす
し、と日本が思ったのは確かである。

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