メディアはなぜ「新型コロナ」を絶対に手放そうとしないのか、報道機関なのか?洗脳、愚民化機関なのか?

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 政府は「新型コロナ」を感染症の「第5類」に引き下げる
との決定をした、要はインフルと同レベルということだ。だ
が私はそれ以前の疑問がある。心ある学究の徒、医学、生物
学関係の方々など、広範に疑問が渦巻いていた。現在もであ
る。病原体という以上は特定の「症状」の「患者」からその
「病原体」が検出され、現出する症状の「感染症」との因果
関係が証明されなければならない。まして呼吸器系感染症の
ように症状を引き起こす病原体は数限りなく多く、症状は基
本、似ている。もし「味覚障害」が特有の症状と言うなら、
その患者から該当の「病原体」が必ず検出されなければなら
ず、それだけでは無意味で、症状との因果関係が証明されな
ければならない。当たり前の話である。

 だが、「新型コロナ」はそのスタートから定義すら全く定
かではない。思い込みの混同が著しく、それがまかり通り、
およそ学問の対象として何ら証明されていない。順序から云
えば「病原体の特定」が最初であり、その「検出」、「特定
の症状との因果関係の証明」である。

 ただ現実、ウィルスには真に意味の薬はなく対症療法に終
始せざるを得ず、病原体の種類で治療法が変わることも稀で
ある。病原体の特定、同定には手間と費用がかかる、だが治
療は同じようなものなので風邪症候群の数多くの病原体も、
現実、病原体の特定は費用効果を考え、なされることはあま
りない。ないとも言えないが、仮に同定しても治療法は同じ
ようなものである。だから病原体の特定、同定はよほど深刻
で特有な症状を持つ、ものに限られる、・・・・・。

 そもそも病気とは、生活上、これまでなかったような症状
が現れることである。これも漠然とはしているが、その通り
であり、「異常、違和感」を感じて医療機関に行く、病気に
なったかどうかは本人の自覚が基本である。無症状もあるが、
無症状を放置したら必ず深刻な事態になる、例えばガンのよ
うなものは問題と成る。しかしコロナウイルスはガンではな
い。無症状者にPCRくらいバカげた話はない。

 もっとも重要なことはSARS-COv-2の存在もいまもって
証明されず、その「病原性」も証明されていない。病原体の
感染性の証明には「コッホの四原則」が原則はいうまでもな
い。

 特定の病気、感染症に特定の病原体、
 
 その病原体が分離同定される

 その病原体から同じ感染症を起こすことの証明

 患者の病巣部から同じ病原体が分離される


 こういう意味合いと思うが、ウィルスについてはこれが難し
いのは事実、「だからコッホの四原則は証明されなくても仕方
がない」この世界的な新型コロナ馬鹿騒ぎは、実はこの「証明
されなくても構わない」がまかり通った結果ともいえる。

 ウィルスの区別、同定ほど困難なものはない、「人に感染の
コロナは従来、6種類」などというの人間のご都合主義である。
そもそも伝染性の証明は人と媒介動物の間でしか出来ない、これ
も重要である。

 ともかく新型コロナは無理〈荒唐無稽〉が通って道理が引っ
込んだ典型である。国際機関、国家、その政治家と官僚、メディ
ア、医療関係者、御用学者などが一斉になにかに憑かれたように
走り出した、もはや証明などあったものではない。

 ここで問題はだ、今持って「新型コロナ」を手放そうとしない、
新規感染者数の大本営発表は何ら変わらない。底に流れるのは
極度の洗脳性、愚民化的な特質ある、およそ立ち止まってまとも
に考えることもしない、全ては最初に思い込んだドグマの遂行、
洗脳、愚民化こそがメディアの利益に成る、ドグマに沿わないよ
うな報道を行った場合の反発が怖い、プロパガンダには、如何な
プロパガンダでもそれに完全に従属し、読者を洗脳に縛り付ける
ものでないとみずからの存続が保証されないのでは、という不安
にかられているとしか思えない。一旦、証明されない強固なドグ
マの推進役となった以上は、絶対にその轍から抜け出てはならな
い、これは脱炭素ドグマも同じである。

 狂信的なドグマ、をプロパガンダとすることにしかメディアの
存続が保証されない、多数の読者を持ったため?それもあるが、
メディア自体に潜む、強度の洗脳の本能というべきである。その
方向に走り出すとその路線から抜け出ることは出来ない、というわ
けである。

 もはやはるか昔に真の意味の報道機関性は喪失し、ただ愚民化、
洗脳要素に特化したメディアとなってしまった。ドグマに反する
ことは何よりも怖い、それである。自縄自縛の結果である。

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