上林暁『春の坂』1958,短編集、私小説作家の眼にしても、もう少し人間を内面まで書き込んでほしい気がする

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 1958年、昭和33年の8月、筑摩書房からの単行本で短編集、
上林さんが軽い脳梗塞を患って後の本である。古書で入手可能
。全集には無論、この本の作品は収録されているが全集までは
買う人は滅多にいないとは思うが。巻頭の作品は表題作の「
春の坂」、郷里に帰省している「私」がオート三輪の助手席に
乗って、妹の家に行く途中に春の西陽をまともに受けて眩しく
反射する乾ききった坂道に心奪われ、そこに従姉とその良人が
シルエットになって登っていく姿を連想し、二人の寂しい人生
行路を思って涙ぐむという話である。

 農家で安泰な暮らしをしている夫が、自分の無学が気になっ
てか、これも文盲同然で若いだけという妻に学問を勧め、妻も
その唐突な提案を受け入れ、東京に出て二年間、苦学した。し
貸家に戻ると今度は夫の能無しぶりが目についてしまい、それ
で二人は別れてしまった。夫も妻も、妻を東京で世話した人々
も皆まじめで好人物なのに、それが不幸をもたらすことになっ
た、という仄かで苦いユーモアを持たせている。いい味は出し
ているとは思える。

 さらに表題作以外に九篇の短編が収録され、基本的に全て私
小説である。いずれも身辺を語った作品で、どれもユーモアを
どこか漂わせている。作者の心の余裕を何処かに感じさせる。
不幸をそのまま受容し、その不幸の中を何とか工夫して生きる
趣で、ま基本、上林さんはそうだったと思うが、それが常に不
幸を背負い、内面に立てこもる傾向で、それがある意味、心的
態度の個性というもので、読者に安らぎを与えるように思う。

 で、その受容的な態度を突き詰めたらそこにあったのはユーモ
ア、といってフランス流でもイギリス流でもないユーモアだろう。
宗教における受容的な態度に通じるだろうか。

 「三十年一昔」これは末の娘を連れて亡くなった妻の同窓会
に出席し、妻の旧友たちの身の上話を聞いて「不幸だったのは
妻だけではなかった」と思う。

 「絶食の季節」従兄の娘が農家の息子との結婚を嫌って食事も
せず寝込み、また妹の長男が大学に行かせてもらえないのを怒っ
てハンストする、などの話。

 「和日庵」田山花袋の玄関番をし、口語短歌を作っていたとい
う鳴海要吉老人との交友を描いた作品、巧まざるユーモアはある。

 基本的に上林さんの作品にはほとんど悪人が出て来ないようだ。
といって、一筋縄では行きそうもない女や、したたか者で、意地
が悪そうな男などは出てくる。だが上林さんはそれらに対し、さ
ほど怒りも持たず、なだめ諭すことに一意専心する。どこかに、
長所を見つけてあげようという善意があり、それでかえって自ら
を反省しようという謙虚な姿勢である。これはひとえに上林さん
の人柄というもので、人間とはしょせん弱いものだという思いに
甘える部分があるのはジャンルとしての私小説の通弊?かもしれ
ない。葛西善蔵は善意ではないが、弱いものに甘える部分は大き
い。

 「尋ネ人」三度も家出をし、ハルピンまで流れたという妻の妹
の行方を探すため、妹宛の手紙という形での作品だが、家出癖の
ある娘、太原で妹を雇っているという男などについての詳しい描
写はないようだ。

 「旧病院」これはなくなった妻の入院していた病院院長のこと
だが、歌人ということにやたら気を取られ、その人間性について
厳しい目を向けていない。「イタリアの尼」一日中酔って、、女
に誘惑された猥雑な気持ちが女子修道院から聞こえた祈祷の言葉
で洗い清められた気分になった、というのだが単なる甘い話に堕
しているのは否めない。上林さんにそういう甘さがあった、とい
うことだろうが、でも古い作品のようだ。

 私小説作家は反俗的で世捨て人めいた部分があるのかどうか、
人間の厳しい観察があるとはいい難い、やはり上林作品の限界
も感じる。

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