なぜ広島市民は本音の部分で核兵器反対運動、反核平和運動に全く関心がないのか?


 このテーマだが、メディアで語られることはない。少なく
とも広島県外の人は、「広島市民は年がら年中、被爆者に同
情し、核兵器反対、反核平和運動のことで頭がいっぱい」では
と、自然思ってしまいがちだ。私も多少そう思っていたフシが
ある。・・・だが結果として非常に長く広島市に滞在してしま
ったが、実際、普段の生活で広島市民から原爆投下についてと
か、核兵器反対とか反核平和運動について、市民口のするのを
一度たりとも聞いたことがないのである。さらに南区霞地区に
ある広島大医学部、そこにある俗に言う「原医研」という研究
所、だと思うがたまに用事で原医研に出向いてなにか雑談をし
ても、広島の原爆投下とか核兵器廃絶とか、反核平和について
彼らが話すのを聞いたことがない。まあ、反核平和ならともか
くも、広島への原爆投下くらいは「原爆医学研究所」の多分、
略と思うからなにか云うかなと思ったが、全く聞いたこともな
いのだ。

 広島大学霞キャンパス

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 要するに広島が核兵器反対、広島原爆の黒い雨の「救済」、
反核運動など、のメッカのように県外などの人には思われがち
だが現実の広島市民は全く様相が異なる、と思うしかないのだ。
これは「その犠牲のあまりにの大きさ、悲惨さに胸が傷んで口
にしたくとも出来ない」のではなく、根本から無関心というべ
記だと思う。

 つまり広島市民が、広島の建前であまりに被爆都市、国際平
和都市、反核平和運動のメッカ、平和公園の祈り、・・・・・
などに心底つくづく嫌気が差していて、逆にそれらを憎悪して
いると考えるべきだ。無論、戦争より平和が良いに決まってい
る。だが「平和が良いのは当たり前、だが、それを職業的に声
高にいつも叫ぶ人間は必ず裏に?がある。それが怖い」だから
こその市民の沈黙である。絶対的とも言える「8・6」も、
市民は「やれやれ、またやってらあ、いつまで大騒ぎするん
だろうか。でも広島市役所職員は休みだし、表向き、反対
もできない」というあきらめの心境のはずである。

 要は被爆者救済などは基本的に一種のエセ同和に近い、とい
うと失礼なようだは、真実はそのような「イヤーな存在」という
ふうに吐き気を催すような利益団体、ゴネ得団体とみなし、軽蔑
しているがもし口にしたらどんなしっぺ返しを食うかわからず、
怖い、だから内心で被爆者運動、反核平和などの軽蔑と憎しみを
抱いているが、、また云うとトラブルになりかねず、もうさわら
ぬ神に祟りなし、もう無関心でいるのが正解、というふうに一種
の諦めの境地、ではと私の10年以上に及ぶ広島居住体験から断言
できるのである。「とにかく職業的に被爆者運動、核兵器反対運
動をやっているような連中は利益のためにやっているのだから」
という気持ちだがそれは決して表向き口にできない。だからもう
それらのことに関心を捨ててしまっている、のである。本音で
、「あの運動にかかわる人たちのことを云うのは怖い」というも
のがある。だから私も市民から、原爆医学研究所のスタッフから
も、広島原爆投下の話など聞いたこともない。

日本は軍人、軍属には超手厚い支給を行う、遺族会などを通じ、
また軍人恩給などで70兆円以上も支出した。だが日本の国家と
してのコンセプトは民間の戦争被害にはびた一文も出さない、と
いう冷酷な性格である。数しれぬ空襲被害、南方に住んで戦闘に
巻き込まれたり、軍隊に駆り出された民間人などには支給はゼロ
である.民間被害の唯一の例外が広島、長崎だ。「他の空襲の苦
しみを無視し、被爆者だけが優遇の限りで、それでいいのか?」
正直、この疑念が広島市民の心に横たわるのではないか。

 バイデン大統領も、実際、アメリカの政治家は広島には行くの
が億劫であることは確かだ、平和公園で献花しろとか、あの例の
施設を見学しろとか、平和資料館と言ったけ、もうイヤでたまら
ないのである。バイデン大統領もG7が終われば、もうこれで広島
に行かなくていから、とアメリカ政府の債務上限の協議で妥協する
だろう。

 建前と市民の本音があまりに乖離している。楯突くのが怖い、も
う無関心でいよう、それである。白けているのである。

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