『オリンポスの柱の蔭に』中薗英助、1985,安藤昌益を発掘し,、赤狩りで自死を遂げた外交官の評伝的小説

安藤昌益を発掘した外交官がいるという話は聞いたことが
あったが、はて、と思うとそれはエドガートン・ハーバート・
ノーマン、Edgerton Herbert Norman、であった。ただ専門家
以外でこの名前はあまり知られていない。随分前、岩波新書
で「忘れられた思想家、安藤昌益」というノーマンの著書の
翻訳が出ている。それ以前だ1947年、『日本における近代国
家の成立』を刊行、これが30歳だったのだから驚きだ。1950
年に『忘れられた思想家、安藤昌益のこと』で埋もれていた
安藤昌益を発掘、ライシャワーをも遥かに凌ぐ日本学の俊英と
して学者外交官(カナダ)、ハーバート・ノーマンは嘱望された
のは云うまでもない。
だがその日本学のスーパー学者であったノーマンが、マッカ
ーシズム、赤狩りの犠牲となってエジプト駐在のカナダ大使
として任地の回路で高層ビルの屋上から飛び降り自殺をしたと
いう悲劇の最期だった。
ハーバート・ノーマンは宣教師の息子として軽井沢に生まれ
た。もとより日本と縁があったのである。一旦は帰国したが、
終戦後、GHQ勤務やカナダ外交団のスタッフとして再来日、日
本の知識人などとも深く交際した。それだけに、その死の衝撃
は計り知れなかった。
本書はそのノーマンの評伝、と云うか、伝記的な小説である。
中薗英助は元来は、政治謀略小説の専門家だけに、ノーマンを
追い詰めたものの正体を徹底して探っている。だから学者的側
面より謀略に巻き込まれたその政治的立場の方に力点がある。
一つはGHQ内部の左翼主義者やソ連シンパの摘発に必死だった
ウィロビー少将を中心とするCIA-G2が、マッカーサーから信頼
されていたノーマンにターゲットを絞ったこと、さらにスエズ紛
争での失地回復にやっきだったアメリカの保守勢力が、新興国の
エジプトに同情的だったノーマンを排除しようと企てたことがあ
るという。かくしてノーマンは学生時代の反ファッショ運動との
関わりや、日本の左翼知識人との交流、などを洗い立てての、繰
り返される非難中傷に耐えきれなくなった、その結果の自殺であ
る。
ここで描くのが日本学学者としてのノーマンは希薄で、冷戦と
アメリカ大衆民主主義の空気の中で蔓延したレッテル貼り、占領
時代のGHQ内部の暗闘をよく調べて描いている。それはまた30年
代から50年代への歴史が暗転する時代における知識人の悲劇の一
典型といえた。戦前、反ファシズム運動は欧米の若者たちの基本
的政治姿勢であり、戦後はそれが自由民主主義に切り替わった、
のだが、反共ヒステリーの赤狩り旋風はそれさえ許さなかったよ
うだ。また本書では、、周囲の人達を決して傷つけなかった善意
の人であったノーマンの人柄をもよく述べている。
ただ配慮かどうか、必要以上に実名が替えられていて、ウィロ
ビーやエマーソン、都留重人まで変えるのはいかがなものかと思
える。歴史の勉強の素材なら実名表記でいってほしかった。
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