「大逆事件」研究のビッグネーム、絲屋寿雄(いとや・としお)さんは映画の仕事が本業でなぜあれほど研究ができた?
大逆事件の研究ではビッグネームは絲屋寿雄(いとやとしお)
さんと神崎清さんとなるが、読みやすく親しみやすい本は、そ
れは絲屋さんのものである。「管野すが」岩波新書は最初に読
んだ大逆事件ものだが、その見事な内容に感歎した記憶がある。
最初の出版は「幸徳秋水伝」1950年、三一書房、以後、大逆事
件のみならず、日本の労働運動、左翼運動などさらに広い領域
でも素晴らしい研究をされ、何冊も出版されている。その業績
は素晴らしい、もうひとりのビッグネームは神崎清だが、何だ
か借りた資料をそのまま取り込むとか、あまりにいて込みすぎ
て晩年、失明したとか、暗いイメージがある。その点で絲屋さ
んは一方で独立映画協会社長などをこなし、数多くの名画を世
に送り出しておられる。いったい、なぜ可能、どんな大学教授
もとうてい、及びもつかない質量の研究と著作だ。ご自身が戦
前、左翼運動、労働運動に加わったため警察に何度も検挙され
た、という経験がある。
著作を列挙するとすさまじい、
幸徳秋水伝 1950 三一書房
流行歌 1957 三一新書
大逆事件 1960 三一新書
幸徳秋水研究 1967 青木書店
日本の反戦運動 戦前編 1967 労働旬報社
メーデーの話 1969
労働歌・革命歌物語 1970
管野すが 平民社の婦人革命家造 1970、岩波
大村益次郎 1971
奥宮健之 1972
などなどでさらに続いている。
しかし、糸屋さんの本職はどこまでも映画である。映画の
プロデューサーであった。吉村公三郎、新藤兼人らと独立映
画協会を設立、社長となった。この独立プロは今でも存続し
ている。多くの名画を世に出している。
朝日新聞のインタビューがある
「私は大学(早稲田)でも歴史を研究しました。戦前、衣笠貞之
助監督の新日本映画研究所に入るときも歴史考証をやるというこ
とで入ったんです。それが昂じて、です。歴史への興味は増すば
借り、新たな疑問が噴出でした」
つまるところ、初心忘るるべからず、ということのようで、関
心があったのは明治の自由民権運動、初期の社会主義文献という
ことで、特に
「幸徳秋水については私の父親が弁護士で大逆事件の検事であ
った和田良平とも知り合いでした。この人は長野で首謀者だった
宮下太吉を捕らえました。その手柄話を御大典で京都に来て私の
実家に泊まったときに手柄としてですが、それを聞いて興味がわ
いてきたんです」
大逆事件は戦後も再審請求がまされているが、門前払いである。
イタチどうしてそのような資料を、重要なものは神崎清が取り
込んでしまっているが?
「白柳秀湖とか、堺利彦という人たちが、実に回りくどい形
の研究を資料として遺していてくれたんです。之が戦後の研究
を支えてくれました」
それにしても業績は膨大で質的にも素晴らしい、本職は映画な
のになぜ?である。
「みなさんが釣りやゴルフをされてるのと同じですよ」
しかし、釣りやゴルフのつもりで、これだけの研究、また本
が書けるのだから本当に脱帽である、
絲屋寿雄さん 1967年9月
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