芝木好子『洲崎パラダイス』1954,特殊飲食店街の女たち

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 「洲崎パラダイス」という名で映画化もされた芝木さんの
一般的に知名度の高い作品だろう、洲崎パラダイス、という
呼び方は別に芝木さんが考案したわけでなく、戦後、特殊飲
食店街、縮めて特飲街として「洲崎パラダイス」と呼ばれて
いたわけである。男が多い街、東京には遊郭は必需品だった
のであるが戦前、吉原と現在の江東区東陽の洲崎、二箇所が
著名な遊郭だった。それが戦後、公娼制度が昭和21年、1946
年に廃止され、昭和31年、売春防止法が施行されるまでの間、
特飲街として「洲崎バラダイス」は存在した。現在の住居表
示では江東区東陽町一丁目、で木場というのか、東京大空襲
でまさしく焦土と化した場所だろう。でも戦後早速である、
男にとってはパラダイスだったのだろうか。

 さて、作品の『洲崎パラダイス』、全て哀れな物語だろう。
仕事もなく働きもしない男と一緒になって、定石通りという
のか、食い詰めた娼婦の蔦江は、とどのつまりは、洲崎特有
の特飲街の飲み屋の女中に流れ着く。そこで忽ち、金の有り
そうな中年の商人と出来合い、アパートまで借りさせてもら
って、あわや乗り換えか?と思わせた直前に、女のことにな
ると狂人のようになる男の情熱にほだされて、またしても流
れの身になっていく、というのが大筋だろう。「洲崎パラダ
イス」というタイトルの作品、
 
 これも元特飲街の女で、若い男を亭主に持った菊代は19の
年から五年間、体を売りながら、貯金もし、土地を買って、
家まで建てたという勝ち気な女だけに、生あくびばかりして
空気が抜けたようなゴムマリみたい、という亭主にはあきた
らない。夜中にこっそり、寝床を抜け出し、昔の客と逢い引
きを重ねながら、うまく金策話をもちかけて、売りに出た家
を買って娼家を作る夢を持っていた。「洲崎界隈」の主人公
である。

 「蝶になるまでは」は文字通り、何にも知らない田舎から
のポッと出の16歳の少女が、いきなり特飲街の飲み屋の女中
になって、いわゆる「なか」の女たちの生態や「男女が愛し
合うと必ず妙なことが生じる」という愛欲の秘密に、反発し
ながらも惹かれてゆくという話だ。

 その他「黒い炎」、「歓楽の街」、「洲崎の女」なども収
録されている短編の総体、作品集だ。いずれも特飲街とその
周辺で、木屑のように流れ着いて、暗い運命にもてあそばれ
るという物語だ。

 もう跡形もないのだろうが、昭和31年、1956年、川島雄三
監督が日活で『洲崎パラダイス』を監督した頃は、まだまだ
その風情の街並みは健在だった。映画は複数あるが、やはり
川島監督のものがいい。

 洲崎という、かっては東京の名所であった遊郭のあとも、
戦後すぐに特飲街に生まれ変わった歓楽の街を舞台に、それぞ
れの女性主人公以外でも、二十人にも及ぶ、流れの女の哀歓を
手際よく描いている。構成的にはソツはないようで、ときには
女でないとわからないような心理の奥底に踏み込んでいる。ジ
ャンルでは中間風俗小説というべきだろう。

 ほんとうなら、こうちた女たちがここに来るまでには、それ
ぞれ思い過去を背負っているはずであり、それらも切り込んだ
ら、ただの風俗中間小説で終わらなかったと思うが、そこまで
達していない。

 筆致は確かでそれはそれでいいのだが、概して通り一篇の
安易さも感じられ、下卑た情話に転落寸前で何とか踏みとど
まっているようなイメージだ。やはり話が興味本位なだけに
さらに社会小説から文学の凄み、と思えども「哀れな話」に
とどまっている。だが構成短編の中では「黒い炎」、「洲崎
の女」がその意味で優れているような気がする。「黒い炎」
がさらにいい、古い農家の次男と恋愛結婚したが、嫁いだ家
でいじめ抜かれ、初産を機会に、離縁されたかのように放り
出された久子は、復縁を迫って拒絶されて逆上、婚家に放火
て三年の懲役刑に服した。模範囚として早期出所したが、裏
切った夫への呪いと執着、出所後、憑かれたように東京中を
探し回るという話、ただし尻切れトンボで終わっている。
放火犯の女が偶然、他の火事を見て卒倒するのも面白い。

 「洲崎の女」も凄まじい、結婚に失敗した老醜の娼婦、登
代の死ぬまでを描いている。単なる哀話、情話を超えている
、一途に一人息子に縋るが、「僕の母さんとは思えない」と
突き放され、なおその息子の幻を追う求め、狂って入水自殺
は芝居じみているが、芝居にしたら面白うそうだが、、・・・
これはすごい。

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