何歳になろうと人生を生きるには常に百年の大計が必要だ


 百年の大計、正直、百年はさして長くないと思える。長く
もないが、少なくとも何歳になろうとも、人生は常に百年
、少なくとも百年の大計が必要、いつ死ぬかは問題ではな
い、常にそれだけの長い目を以って生きることが大切だ、と
いうことなのである。もちろん、人間だから、いつ死ぬやら
わからない、次の瞬間にだって死ぬかも知れない、でも、そ
うであっても心構えは、生きるコンセプトは常に百年の大計
なのである。来世はある?あるはずはないと思う。この一度
、きりの人生が全てである。だたたr、つねに焦ってソワソ
ワして生きる?くらい無意味でバカなことはない。解決を焦
ることはない、百年先を見通せばいいのである。結果が出る
かどうかの問題ではない、常に長い目で考えるスタンスを保
つこと、・・・・・・でも残りの時間が短いのになぜ?だか
らこそ百年の大計なのだ、こせこせ目先を考えてはろくな結
果にはならない、わけである。

 自分探しの旅が人生と思ったら、その自分はただ無能で
何の才能もない人間だった、という発見、たしかにそうで
あったにせよ、才能の無さを発見するのも立派な自分探しの
旅である。だが本当に才能がなかった、無為無能を恥じるこ
とはない、要は生きること自体である。生きるとは?なお、
埋もれている自分は必ずいると信じることである。その発掘
には長い長い時間がかかる。二桁の年数ではどうしようもな
いではないか、常二自分を信じて先を見据え、あきらめず、
努力である。ガリガリやる必要はサラサラない。肝に銘じる
は常に、「百年の大計」だ、それが突破口になる。その面白
さだ。

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