純エンジン車に末永く乗るために、今後、ユーザーは一層の努力が求められる
人類は発狂している、とみなして差し支えない。とんでも
ないドグマ、狂信があたかも絶対的真理のように国際機関か
ら国家、(政治家、官僚)、既製メディアなどの絶えざる民衆
への「刷り込み」がなされている。先日、NHKの番組で新型
コロナワクチンの副作用で死亡した人の家族らへのインタビ
ュー番組で、「新型コロナで死亡」という具合に意図的な
曲解の放送内容としたこと、・・・・・とまあ、要は、模型
の車と同じバッテリー電源でモーター駆動、と同じわけであ
るが純バッテリーのEVにしろと、まるで熱に浮かされたよう
だ。コンセントから使用中は電気を得られる家電製品や架線
から走行中、電気を取り入れられる電車、とは全く異なるの
であり、強要されたらその致命的不便さ、実用性の喪失は筆
舌に尽くせないが、世の中が発狂状態なのだから対応するし
かない、利便性、実用性を失ってまで純エンジン車を捨てる
ことは不可能だ。チェンソーでも充電式とエンジン式がある。
手近な場所に限っての充電式である。限られた用途にBEVな
ら大気汚染改善には有意義だが、限られた条件でしか実用性
がないことは明らかである。したがってエンジンの喪失は、
実用性の喪失とイコールなのだが、誤った狂信が上から強要
される以上は我が身を守るため今あるエンジン車を末永く使
えるようにするしかない。HEV,PHEVなら無論、実用性は文句
ないが価格は高く、重量も重い。やはり純エンジンのメリッ
トは捨てることは出来ない。だが権柄ずくに上からの規制は
理不尽だが必ずやってくるはずである。
これからはリペア、オーバーホール、さらにリストアの時代、
無論、現在でもそれらはあるが、それ以前にメインテナンスで
ある。これからはエンジン社の末永い維持と使用のために、そ
のあたりまえなことに飛躍的に重要性が増すわけである。
無論、パーツされ供給されたら車は半永久的に乗れる、が
最大の問題はパーツが供給されなくなることだ。もし、エンジ
ンの製造、その周辺領域の製造工場が大幅に閉鎖されたら、日
本の機械工業への致命的なダメージとなるが同時に、パーツ、
部品の供給も在庫限りで再製造が著しく困難になる。これは懸
念される最大の問題である。またガソリン、軽油が販売できる
ことで石油プラントのシステムが成り立っている以上、国内の
石油プラントが激減する可能性がある。それは樹脂パーツの供
給も困難に瀕するわけである。
ともかく奇怪な車を巡る状況に翻弄されるわけである、重要
なことは今後はユーザーとしてはメインテナンス、リビルトパー
ツの使用、オーバーホール、またサードパーティーの部品製造
メーカーの重要性がこれも飛躍的に増すわけである。
ユーザは自衛する以外にないわけだから、純エンジン車を使い
つづけるための基本的なコンセプトを煮詰めたカーライフを目指
す以外にないわけである。一層の工夫と努力が必要となる。
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