高見順『対談現代文壇史』筑摩書房、読んで初めて知る意外な事実も多い
最初は1957年、昭和32年に中央公論から刊行され、その後
1976年に筑摩書房から再刊されている。聞き役が高見順、話
し手は、白樺派以降、それぞれの文学運動、あるいは著名な
同人誌の中心にいた人たち、である。例えば、志賀直哉は白樺
派、山本有三が「新思潮」、佐藤春夫が「スバル」時代、久保
田万太郎が「三田文学」、広津和郎が早稲田文学派を語るとい
うもの。
語られていることは既に語られているようなことで、別段、
これを読んで初めて知ったというような内容はあまりないと思
う。強いてあげれば、佐藤春夫が戦時中に、ジャワでテング熱
に罹って枕元の『改造』に掲載の太宰治の「佳日」を繰り返し
読んで、文章に欠点を探そうとしたが別に見つからず、感心す
るばかりだった、ということ。太宰の文学性には疑問も残るが
、その文章は明治以来、類がないほど完璧だというのだ。
広津和郎が大正7年頃、1918年頃に使って注目を引いた「性
格破産者」という言葉は、チェーホフから実は見つけたとか、は
初めて知ることだ。
広津和郎
これらの中で云えば、高村光太郎の「わが生涯」が充実してい
て面白い。亡くなる直前くらいだったのか、一種の情熱に満ちた
語り口ではある。与謝野鉄幹が明星調を世に広めるため、門弟の
歌を作り直していた、光太郎の歌も「白」だけ残して作り変えら
れていたとか。若くしてなくなった、荻原守衛と相馬黒光女史と
の秘話、美術学校で森鴎外の意味不明な講義に反発したという話、
漱石の文学論に食ってかかって漱石門下に嫌われ、岩波書店とも
疎遠になったとか、あまり知られていない話だろう。
でも重要と思えるのは、大正の回顧ではなく、新感覚は以降で
あろう。川端康成が新感覚派、青野季吉が社会主義文学、中野重
治がプロレタリア文学、船橋聖一が新興芸術派、亀井勝一郎が転
換期の文学者、伊藤整が戦争と文学者を語っているが、初版の
1957年時点では遠い過去のことではなく、同時代人として苦難を
ともにした仲間だけに、聞き手も話しても区別がつかなくなって
しまい、呼吸はピッタリ、なかなか精彩を放つというべきか。
横光利一が初期の素朴な作風を無理して新感覚派的な新風を
開いたこと、意識的であったこと、そこに実は大切なものがある
のでは、という説。「文芸戦線」に比べ「文芸時代」を軽視して
いたのではという考え、青野季吉が云う、明治末期の社会主義と
個人主義は一種の対立関係でああったが「相克にして同志」とい
う考え、亀井勝一郎の語る転向後の作家の多様なケース、中国と
の戦争拡大で多くの作家がいつ応召されるやら戦々恐々だった、
こと。船橋聖一、亀井勝一郎、高見順は典型だったようだ。
対談形式なので床屋談義風になりかねず、探求は不足だが、生
々しい体験が語られるのだから、悪かろうはずもない。
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