西口克己『祇園祭』1961,蜷川府政を支えた共産党系の著者が描く祇園祭の歴史的小説

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 今はなんとなく忘れがちだが、戦後長く、京都は共産党系の
府政、蜷川虎三知事が続いた、六期、在任は1950年から1978年
と長い、ほぼ戦後支配だった。なぜ京都府民は共産党を支持し
たのか、別にそれは府民の判断であったからとやかく言えない。
著者の西口克己は伏見の遊郭の家に生まれ、三高から東大文学
部、1959年に京都市義当選、連続四期だが四期目途中で急逝、
1913~1986、72歳没。「廓」で作家デビュー、「山宣」もかな
り読まれた著書である。新日本出版社から全集が刊行されてい
る。

 中央公論社から1961年に刊行された「祇園祭」、その視点は
民衆視点である。

 「応仁の乱から五十年も経ったが、いまだに侍同士の勢力争
いや土一揆が繰り返され、世の中には下剋上の血なまぐさい嵐
が吹きすさんでいた」という具合で、この小説は、天分元年、
1532年から翌年にかけての殺気立った京都の話であり、それぞ
れの階層が血を血で洗うという、地獄絵図の混乱を描き、京の
町衆を中心とした「幕府を恨む一切の下々洲」の団結が平和の
導き手となって、それが平和の示威行進となった、と語る、が、
いささか僻目だが、共産党的発想ではあるといっていいのか、
普遍的な視点に依拠というべきなのだろうか。

 年貢の減免を叫ぶ農民一揆、徳政令を要求の貧民の一揆、心の
安泰と救いを求め、念仏を唱えながら踊り狂う一向一揆、山城国
に最も激しかったこれらの一揆を総称して、土一揆と云うのだそ
うだが、著者の西口はこの土一揆を弾圧しようとする幕府のと間
に挟まれ、「町z粘体が大きな兵営に包まれたような」息苦しさ
体っしようという町衆のだした知恵が重要と説いている。

 町衆は米を京都に運び込む必要もあり、これも土一揆の一つの
近江の馬借と手を握ることで、幕府の一揆勢力同士を闘わせての
分割統治に対抗しようとした。これが戦乱を食い止めることにな
ったという。武器を作る祇園の「つるめそ」河原者と蔑視される
人たちとの大同団結、も次々と作られ、内部を固め、平和を求め
る町衆の心高めるために祇園祭が企てられたという。

 小説では英雄的主人公で呉服店の若者、笹屋新吉が混乱の中を
縫って戦う姿を追う。河原者の美しい娘との恋愛、陰惨な話の一点
点の灯火のようだ。新吉が祇園祭の夜に、侍所の警吏の開闔、かい
こう、に射られてスぬ場面で小説は終わる。

 その発想視点は確かに共産党的な民衆史観に徹している。別に
民衆史観が共産党の専売でもないと思うが、現役の京都市義、共
産党公認だけに政治的な思惑をつい感じてしまう。全体の印象は
文学作品的というより歴史的な文章でやや暗すぎる。小説なら、
もっと工夫が合っていいとは思うが。

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