松井光三郎、岡山東商出身、松竹大部屋俳優の殉職、1956年2月16日、松竹京都撮影所、時代劇の陰の功労者


 岡山東商業出身の俳優としては八名信夫さんがいる。有名で
ある。生まれは岡山市、大正9年、1920年の生まれ、岡山東商
業という名称ではなく、岡山県岡山第一商業高校、通称「県商」
の卒業の松井光三郎(こうざぶろう)さん、いわゆる斬られ役、時
代劇の脇役だった。だが紛れもなく松竹の俳優であった。享年
36歳だった。

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 それは野村芳太郎監督「旅がらす伊太郎」の撮影中だった。
今、松竹のサイトで「旅がらす伊太郎」を見ると

 「野村芳太郎が監督、脚本を兼ねた。旅がらす『シェーン』
版。伊太郎が生まれ故郷に帰り、昔の恋人とその夫の家族を救
い、村の顔役のやくざを叩き斬って、またさすらいのたびに出
る、という物語」

 配役は伊太楼が高橋貞二、網元:北上弥太郎、網元の秀五郎
の女房、草笛光子、・・・・・松井光三郎さんは「熊吉乾分孫
平」となっている。ヤクザ一家の一員ということだろう。

 昭和31年1、1956年2月16日のことである。その日、野村芳太
郎監督の野村組は「旅がらす伊太郎」の最後の撮影に取り掛かっ
ていた。うすぐらい6時前、早朝である。妻で松竹衣装係の貞子
さんと自宅(左京区下鴨宮崎町)を出た松井光三郎さん(本名・三沢
正恭)は午前9時に撮影所に入った。昼休み、食堂で貞子さんに
逢った松井さんは多忙でも疲れた様子はなく、いつものように
朗らかだったという。

 いよいよ熊吉親分のところへ、伊太郎が切り込む場面だ。何度
も繰り返したテストの後、本番。伊太楼役の高橋貞二さんを取り
巻く熊吉の子分たち、白刃がきらめく、と軒下にかけてあった舟
の櫓が音を立てて崩れ落ち、火鉢の灰神楽がぱっと上がる。

 激しい立ち回り、子分の一人の松井さんも伊太郎と二、三合切
り結んだが、どうしたはずみか、刀が真ん中からポッキリ折れて
しまった。竹光とは云え、立ち回りで折れるのは珍しい、撮影所
でこれは不吉なことだと懸念の心理が広がった。だた松井さんは
真剣そのもの、伊太郎に身をかわされて、たたっとよろめきなが
ら、石で作った井戸枠につんおめった。左胸を強打した。
 
 野村監督が思わず駆け寄った。「大丈夫か?」「なあに、これ
くらいでやらないと俳優じゃないですよ」と元気にまた立ち上が
った。高橋貞二の刀で受けた左まぶたの傷を手当されて、NGとな
ッタシーンを撮り直した。

 だが松井さんは石にぶつけた左胸から内出血、それも告げず演
技を繰り返した。・・・・・終わって、松井さんは次の場面まで
セットの隅で腰を下ろしていた。同僚の一人がセットで腰を下ろす
松井さんなど見たこともないので、そばにやってきた。こばむ松井
さんの胸を開けさせたら赤く内出血、「誰にも云わない」と松井さ
んには云ったが、ドーランの顔色も悪い。同僚は医務室に松井さん
を連れて行った。

 「あの時はよほど苦しかったようです。ドアを開けると走って
ベッドに、、横になりました。ドーランを拭き取った顔からは油汗
が吹き出していました、脈も乱れて、強心剤を打ったんですが、し
きりに水をくれと」

 看護婦はそう語る。知らせで駆けつけた貞子さん、松井さんはも
う無言だった。

 間もなく救急車、中央病院へ急ぐ救急車に貞子さんは乗らなかっ
た。取り開け用下着を取りに帰宅し、タクシーで病院に向かった。
しかし松井さんの顔にはすでに白い布がかけられていた。貞子さん
は崩れ落ちた、そこで気を失った。

 最近、高校野球の練習試合でピッチャーラーナーを左胸に受けた
投手、太宰府高校野球部の投手が死亡した事故があったが、それと
にていると思える。胸の強打である。

 松井光三郎さんは岡山市出身、戦前、岡山市の県立第一商業、現
在の岡山東商業を卒業、大都映画に入った。それ以来、映画、演劇
の生活が18年、阿部九州男に師事、芸道一筋の人生だった。走る馬
に飛び乗ったり、衣裳をつけ、刀を差したまま川に飛び込む、谷か
ら谷にロープで渡ったり、危険に体当たりだった。人が引いてしま
うような危険な演技を引き受けていた。お陰で生傷は絶えず、スタ
ーのスタンドインも日常茶飯事、つねに真に迫った演技に徹した。
下手な立ち回りで取り直しは俳優の恥が口癖だった。

 だが反面、妻に隠れて質草を入れたり、友人を助けることもしば
しば。純情で生一本な性格は誰からも親しまれた。悪口を言う人は
いなかったという。坂東好太郎一座にいたころ結婚、子供には恵ま
れず、昭和24年、1949年2松竹入り、ほとんどの映画に出演してい
た。時代劇の影の功労者だったという。衣裳係の貞子さんと松竹に
貢献した。

 「スターは何気なく斬っても、相手が上手く斬られないとスター
は引き立たない」と貞子さんにいつも話していたという。同時に
「斬られ役」という言い方を非常に嫌った。誇りを持って全力で
仕事に向かった。

 松井さんの撮影除葬は2月22日、挙行された、映画人としては初の
労災補償金95万円が霊前に供えられた。だが、それも空しかった。
とにかく、生きていてくれさえすれば、と松竹撮影所、俳優、スタ
ッフ、参列者はみな、悄然と悲歎に暮れた。

 所葬の翌日、完成した「旅がらす伊太郎」の試写が撮影所で行わ
れた。貞子さんの姿はなかった。

 「今はまだ良人の最後の姿を見る気にはなりません。49日は外に
出ません。灯明を守ります。それからはまた、衣装係を務めさせて
いただきます」



  松井光三郎さん、最後の姿

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