過去はもう笑うしかないです、人生ってそんなものかな
人間にとって過去はどうにもならない、いかに理不尽で不遇
、同時に、自分自身の無為無能、才能の乏しさもあるから、別
に自分の責任も免れる道理はないだろう。だが、それ以前の初
期条件が悪すぎたのも紛れもない事実。親と来たら、本当に、
とても人様に言えるようなことではないが、母親などは私が幼
児のころから高齢者入りしてから一貫して根底で次男の私に「
殺意」を持ち続けたという異常さである。理由がない、無論、
親が子供に殺意を持つ正当な理由はないが、いたいけない幼い
頃から虐待、高齢期は生活を支えている私、私がいないと、生
きていけないはずなのに、事実上、最後の言葉が電話での「殺
す」発言である。親は事細かに子供の世話、配慮をしないと子
供はまともに学校生活は送れないが、このありさまだからプラ
スの意味の配慮はゼロ、あるのは宇宙開闢以来の悪意とゲスを
煮詰めたような人間性による虐待、・・・・・だから、狂気を
超えた悪意とゆがみと殺意、・・・・・いったいどんな親?
父親はろくでもない男、母親はその亭主たる男が愛おしくてな
らなかった。あの亭主と絶対連れ添うが最大の目標だったと思
う、その裏返しが何故か私への憎悪であったようだ、最後の最
後に生涯のコンセプトが再び出てしまった。といって「殺す」
発言は数限りなかった、一度たりとも冗談で行ったケースはな
いだろう。
さすがに、私も自分が不憫に思えてならなくなった。宇宙
開闢以来の異常性格の親たちに「育てられ」たから、幸福な
人生は望む道理もない、
最後のあたりはその暴言は荒れ狂い、兄弟でもう必死で、
認知症名目、といって実態は異常性格なのだが、もう施設に
押し込んだということになる。私は母親に虐待もされ、脅され、
殴られたが兄は一度も殴られていない。脅されてもいないが、
しかし母親らの異常な性格から受けた不快さは変わらないだろ
う。火葬後、引き出された砕け散った遺骨を見て兄弟とも憮然
としたのは云うまでもない。「どれだけ多くの不幸と不快を生
んだHell Creatorだったか」兄弟揃ってどうしようもない被害者
である。もう苦しみを受けることはないが、過去はどうしよう
もない、・・・・・悄然とした空気に包まれた。何も悼む気持
ちからではない。
だがら私のケースは普遍的と云うよりレアケースの性格が圧倒
的である。・・・・しかし誰しも人生の宿業を免れ得るものはい
ない。どうのもならぬ生きる制約の中で理不尽な苦しみに悩むし
かないわけである。実はすべての人が個別にレアケースである。
当たり前の話だが、・・・・・理不尽を免れ得ぬ者もいないだろ
う、無論、何かと順風満帆はある、だが生きること自体が宿業の
修羅場というのも誰しもかわりはない。
ともかく私のケースもそれぞれの人生のしょせんは茶番劇を超
えるものでもない。過ぎた時間と残りの時間のひりつはどんどん
拡大する、だから過去を笑うとこの時点で云うのはあきらめという
ことに通じるがそれは、また同時に新たな人生の始まりでもある。
過去は笑ってあきらめるしかない、解放された人生がこれから始ま
るということである。
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