『鏡子の部屋』三島由紀夫、小説というより評論であり、饒舌で的はずれな評論だ

これは三島由紀夫の非常に悪しき面が露呈した作品である。
鏡子は30歳になる金持ちの家つきの娘で両親は既に死んでい
て、彼女の亭主も追い出してしまい、今は8歳になる娘といた
って呑気に暮らしている・彼女は「無秩序」を愛し、広大な邸
宅に彼女を楽しませてくれる友人、知人を集めては退屈をしの
いでいる。
その友人、知人、まあ仲間と言うならその仲間とは、新劇の
研究生の船木収、大学のボクシング部選手の深井峻吉、日本画
家の山形夏雄、商社社員の杉本清一郎の四人の男と、光子と民
子という二人の女友達である。
光子は夫と別居してこれも呑気に暮らしている。民子は熱海
に大きな別荘を持っているような裕福な過程の娘でありながら、
銀座の飲み屋で働いている。ふたりとも男関係は乱れている。収
とも関係したり、峻吉とも関係するという乱脈である。
さらに猥雑だが、男、女とも鏡子お家に集まっては自分たち
の情事をあきもせず詳しく述べて説明し、鏡子はまたそれを聞
くのが好きという。鏡子も夏雄や清一郎と危うくベッド・イン
しそうになったこともあったが、偶然に果たせなかった。
、・・・・四人の男の履歴、だがこの作品では鏡子も光子も
民子もおよそ重要性はなく四人の男が集まったという意味で
鏡子という名前が存在し、光子と民子はただ彩りで供えられて
いるだけのようなものだ。作品を構成しているコンポーネント
は四人の男の履歴、歴史だ。
、・・・・・新劇研究生。新劇研究生の舟木収は「空想的な
ところが微塵もない」男であり、ハンサムだが貧相で寝た女か
らは痩せっぽちと貶される。かくてボディビルを始める。有閑
婦人と泊まり歩き、衣服をか買ってもらったり、女の研究生と
遊んだり、だが一度も舞台にまだあがっていない。・・・その
いち彼は女高利貸しの愛人となる契約をする。いつしか女高利
貸しと心中を空想するようになる。「死の決して繰り返されぬ
性質が彼の空想を容易にした。空想はどんなに安易でもいい、
空想上の感覚がいかに実際とへだたっていてもかまわない」とい
う。三島らしいキザで持って回す言い方だ。事実、女と心中して
しまうのだ。
拳闘選手、・・・・深井峻吉は「瞬時もものを考えないよう
にする」という「信条」を持っているという。彼は大学を出て
プロになる。チャンピオン挑戦の試合に勝ったよる、愚連隊と
いざこざを起こし、右手の指を骨折、拳闘選手を諦める。彼は
帰り道、大学の応援団長に出会う。今後の人生を考える。その
途端、彼はその応援団の関わる右翼団体に入団を決意、やがて
右翼団体の幹部となる。
日本画家の山形夏雄は「しいて均衡も求めないのに、自ずから
均衡を保ち、外界の自然に何の意味も求めないのに、自然のほう
が安心して彼に身を委ねる」という男であるが、これも気障な表
現だ。彼は鏡子の家で、他人の情事の話を黙って聞いている。そ
れは彼は経験が皆無である体。彼は展覧会で特選となって著名画
家の仲間入りが出来る。
だがまもなく、均衡が破綻、神秘主義に走る。それは解決にな
らず、苦悩の朝、枕元近くの水仙に着目、「もしこの水仙が現実
でなかったら、自分がどうしてこうして存在し、息をしているの
か」とかれは「現実を再構成」したのであった。彼は広大な世界
を見たいという欲望からメキシコに向かった。その出発を前に、
久々に鏡子の家を尋ね、鏡子と関係した。
貿易商社、社員、杉本清一郎は「世界はまもなく崩壊する」と
信じ、その信念のもと、世俗的な行動を取る、その結果、立身出世
し、副社長の娘と結婚する。ニューヨク支店勤務となる。鏡子が夏
雄と関係したのは彼女が追い出して亭主と再び同居することを決め、
亭主が家に戻る二日前だった。鏡子は金欠となって生活も苦しかっ
た。鏡子の家は終わっていく。
で?これは三島自身の体験を語っているようだ。痩せっぽちで
貧相でバカにされたからボディビルもそうだし、妻が日本画家の
娘だから、日本画家?若い男が日本画家も一般的じゃないよ、
またプロレスは蔑視、ボクシングをちょっと齧った経験もある
し、新劇は劇団運営に参加していた、文学座に、それを活かせて
いる・海外旅行の経験もである。貿易会社はよくわからないが。
でもかなりの長編だ、四人の男の話は孤立して相互に関係はな
い。もし共通と言うなら、空想的な点が微塵もない新劇研究性が
心中し、瞬時も思考しないという拳闘選手が右翼団体に、均衡を
保っていた日本画家が均衡が破綻し、神秘主義者に、回復して現
実に生きることになった転機、それぞれの転機を経験したことか。
そのような転機がないのがこの世の破滅を信じる社員、・・・
三島は自分の体験も利用し、アイロニーで話を展開させたのだろ
うか、だたらこのアイロニーは全然、精細がない。べらべらと、
やたら饒舌にまくしたてるが、警句を連発している。
「会社のタイムレコーダーを馬鹿らしいと思わない人間が、どう
して因襲を馬鹿らしいとなどということが出来よう」
警句にしては底が浅すぎてお話にならない。気の利いたような警
句が散りばめられているが。どれも浅薄である。浅ましい、的外れ
だ。でいたるところで理論を展開する、それも饒舌だ、で、その結
果、登場人物は無意味な作り物という致命的欠陥を露呈させている。
正直、小説の体裁を取って本音は評論ということだろう。しかも
その内容は的外れで軽薄だ。アイロニー、逆説も浅ましい限りだ。
読んで、落胆せざるを得ない作品である。
この記事へのコメント