田宮虎彦『眉月温泉』1954,佳作作家にはなれても大作家になれなかった田宮虎彦の根源

田宮虎彦は佳作が多い作家である、どれも心に染み渡る名作
が多い、「絵本」、「菊坂」、「落城」、「足摺岬」、「異母
兄弟」、どれも哀愁の漂う暗い名作である。・・・・・さて、
『眉月温泉』、実在はしない架空の温泉である。テレビドラマ化
もされている、1964年。
「私の作品としては、どちらかといえば、物語性の多い作品
である。いわゆる面白い小説を書くことは、私にはむしろ苦手
のことであるが、書いたあと、やはり深い愛着を感じるのであ
る。・・・・・もっとも私の作品は物語性が多いと云って、自
ら限度があるようだ。多彩とは到底いえないだろう。しかし、
私なりに貧しい人、不幸な人々に代わって、何かをうったえる
という気持ちだけは、読者にわかってもらえると思う」と、あ
とがき、で述べている。
確かに田宮さんの作品は全く不幸な人ばかりにさえ見える。
「絵本」なんか本当に切ない、どの作品もであるが。
『眉月温泉』収録の作品はどれも、「人の一生」をしみじみ
感じさせる。この本に限らないはずだ。淡々とした物語の中に
も、その切々たる哀愁が濃厚に込められている。作品中の人物
はどこか、謎をもているようだ。
『眉月温泉』は由緒ある温泉の女主人と鳴るはずだった主人
公の眉美が、その運命を疑わず、「おひいさき」と呼ばれて成
長したが、母が突如、男児を産んだため、平凡に結婚し、やが
家出をし、大陸にたどり着くが、戦争がすぎると、その所在は
わからなくなった、という物語である。
眉美に捨てられた夫は、眉美の妹と結婚するが、最後まで眉
美の行く末が気にかかっていた。誰が不幸になった・やはり大
陸で行き先も不明となった眉美あろう、実はそれほど不幸でも
ないのかもしれないが、不幸の香りが匂ってくる。
あとがき、にあるように、不幸な人に代わって訴えるという
田宮さんのスタンスは、まず田宮さん自身の人生への考えが、
いやで滲み出ているように思える。小説故に読むものには他人
のこと、関係ない話だが、これらの無名で不幸な人々は実は常
に読者の近いところにいる、周囲にもいる、また読者の生活に
も重なる部分があると思う。
田宮虎彦さんが遠慮を捨て去り、通俗性も警戒せず、小説の
フィクション性に徹することが出来たら、もっと幅広作品が書
けて大作家になれたかもしれないが、これは作家の個性という
ことで仕方ないのかなぁ、とも思える。
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