高島俊男『水滸伝の世界』もったいぶらない、エッセイのような古典論

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 え、・・・『水滸伝』とは梁山泊百八人の豪傑の物語だが、
総大将は宋江で、奇妙な話だが、この男は、何の魅力も取り柄
もない。弱虫で、意気地なし、頭も悪く風災も冴えない。人間
性も悪い。卑劣陰険な所業を平気で行う、元来が役所に寄生する
事務の請負人のようであり、誰からも嫌われるような身分である。
だから別に出自のお陰で総大将になったわけでもない。強いて長
所を挙げれば、自分より強いやつ、賢いやつへの警戒心がなく、
来る者は拒まず、というのか、引き入れてしまう。だから頭目に
なれた。

 著者、高島俊男はこんなさり気ない疑問で読者を釣っていく。
その答えは?なのだ。

 北宗末、華北を荒らし回った「宋江三十六人」と呼ばれた強盗
団が実在した。この史実が長い時間をかけて、練り上げられたの
が『水滸伝』だという。元代の説話では三十六人が百八人まで増
えた。だがこれは人数だけであり、顔ぶれは具体的に揃っていな
かった。明代の作者はそれを、その豪傑たち一人ひとり、登場さ
せねばならないから、宋江をホウボウに旅行させ、人集めをさせ
た。だが豪傑たちを活躍させるために、宋江を無能な男に仕立て
るのが実は得策となったようだ

 いくら無能でも「宋江三十六人」の頭目は宋江なのだから、そ
のちいは盤石ということなのだ。

 『水滸伝』は非常に長い期間をかけ手の集団制作だというが、そ
れをよく説明しているのだ。話術の巧妙さだ。作者作者でも高島が、
である。

 『水滸伝』第13回から32回までの「武十回」、武松の物語の
分析も面白い。その中の「西門慶・潘金蓮殺し」の部分は、多くの
店で、他の部分と違うのだ。第一、武松の性格である。

 「虎退治」その他では、陽気な無鉄砲男が、冷静沈着、陰気な
男になってしまう。たぶん、明代前期に南方で出来た説話が取り
こまれたのだろう。だがら「潘金蓮殺し」の舞台は北方の田舎町
という設定なのに、家屋の構造、生活の風習、言葉は南方のもの
だという。

 登場人物の多彩さ、多層性は高島の好むようだ。高島は『水滸
伝』の潘金蓮と『金瓶梅』の潘金蓮を比べて前者のほうが人間的な
、いあばふくらみがあるようだ。校舎はただ淫乱というのみ、でつ
まらないと高島は云う。

 なにせ高島は十数年かけ『水滸伝』辞典を一人でこしらえた、と
いう、イヤミなほどの専門の学者である。で一般向けに、レベルを
「中国、日本を通じて源氏亜の研究水準の最先端」と自負するそう
だから、そうなのだろう。内容は充実だ、視点は的確、学識も文学
性もある。しかも勿体をつけないエッセイ仕立てだ。

 『水滸伝』のテーマは「自由」だという、その自由は盗む自由か
ら、道家の莊子の自由へと昇華さえしている。だが民衆はそれを、
ついに理解しなかったようだ。・・・・・とまあ、いい内容には
違いない。だが『水滸伝』の英雄たちは女色に無関心だった、だか
ら「日本の民衆の心に生きる英雄も女色に無関心だった」、これは
大間違いにしか思えないが。

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