五代目古今亭志ん生、紫綬褒章受賞の知らせに「そんなもの、身におぼえがねえ」

五代目古今亭志ん生、1890~1973,改名歴は著しい、なん
とか人気が出てきたのは40歳を過ぎてからだという、身なり
も悪く愛想も悪く、「死神」とあだ名されたり、周囲とうま
くいかなかった。昭和20年、1945年、演芸報国で満州にわた
り、帰れなくなって、二年後、1947年、やっと命からがら、
その帰国が大ニュースとなって人気に火をつけたのかもしれ
ない。年代的には八代目桂文楽とほぼ重なる、やや下だが、
ほぼ重なるのが六代目三遊亭圓生である。
もうあれこれ述べればきりがない、ただ1961年、巨人軍の
祝勝会でも口演中に脳卒中、三ヶ月人事不省の影響は大きく、
これをもって病前、病後、はっきり云えば以後は復帰しても
中風の落語だった。
その志ん生が「紫綬褒章」を貰った、芸能人もしょっちゅう
褒章を受けたり挙げ句、文化功労者、人間国宝などになったり
するのだから、別に特別珍しい話でもなかった。
でも驚いたのは御本人の志ん生だった。新聞記者が東宝演
芸場で知らせてくれた。志ん生師匠「シジュホーショーって
いってえなんだい?」
記者もにわか勉強らしく「学問とか芸能とか、世間で秀でた
業績を残した人への褒章です」志ん生はびっくりした、という。
要は志ん生は、どうせまた冗談で騙されていると思って全然、
本気にしなかった、という。このときの言葉がまたおもしろか
った。
「ほかのことならともかく、そんあこと、自分の身におぼえ
がねえもの」
これじゃ、何だか悪事を行って「そんな悪いことをしたなん
て身におぼえがねえ、みたいで、とぼけたわけではなく、自分
がそんな人から褒められるなんて、身におぼえがねえ、という
のだ。
それから少し経って志ん生は「いえね、自分でもらおうなんて
思ったことはありませんよ」
これがウソ、というのはそもそも紫綬褒章なんて知らないのだ
から、もらおうなんて、最初から思うはずはないわけである。だ
から貰うことになってあとから考えたにしても、深い意味はない。
安藤鶴夫さんが電話をその夜かけた「志ん生さん、今何をして
いる?」
「いま、いねむりしてた」と淡々たる心境だった、という。73歳
くらいだろうか。
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