三好達治『路傍の秋』1958、短編小説をも含む随筆集、噴出する硬派な資質
随筆集だが、巻頭に短編小説と云うべき『風景』を置いて
いる。それから自伝的仮想を綴った『放下者』、『文学的青
春伝』、『貧生涯』が続き、さらに梶井基次郎、堀辰雄、坂
口安吾、桑原武夫、幸田露伴、高村光太郎などの人物論とい
うのか印象記、また『文部省の詩感』、『外から見た日本』、
『天皇を巡る人々』などの文化業論、最後を『僕の京都』、『
『正午の夢』などの随筆を収めている。古書で入手できる。
この中で特に力作はやはり短編小説たる『風景』、戦時下で
疎開した漁村での体験、見聞を別に深く立ち入ることもなく、
いわば淡々と綴ったようなものだが、やはりここでも三好達治
の「無関心の関心」というべきスタンスが逆に生臭い人の世の
煩いを浮かび上がらせる趣きがある。端的に云うなら私小説の
まずは佳作だろう。えてして詩人の書く散文はことさらの味付
けが多いものだが、散文としての簡潔と明晰を貫いていて、さ
すがである。実はこれは他のエッセイにも云えると思う。
人物評論、印象記では三好達治が親しかったはずの梶井基次
郎、堀辰雄などより幸田露伴、坂口安吾、桑原武夫などについ
てのエッセイが面白いというのか、秀逸である。人物自体のス
ケールの差異もあると思える。露伴については、生涯ある時期
に西欧の文学に接していたらという仮定論に対し、「生涯のあ
る時期に、西欧文学はきっぱり見切りをつけたと思われる、そ
の特殊な素質に興味が湧く」とか、小説は露伴にとって「窮屈
の世界」であり、「彼は小説を最高に置く文学を拒絶した」とも
いいう。
坂口安吾については、小説家と云うより、魅力ある独断家と
しての資質が強く、競輪騒ぎとか、薬物に浸るなど、弱者とし
ての一面もあり、「両者の葛藤の産物」とみる、まあ、常識論
だろうが、したがって「冷静に落ち着いた地味なしみじみとし
た常住の観察の上に成り立つ、文芸上のリアリティの魅力は彼
には皆目なかった。」安吾ファンにはちょっとカチンとくる内
容かもしれないが、当たっている部分もある。
桑原武夫は「どこやらファナティックな一脈が彼の人格の
蔭にあり、それが彼を快活にし、おしゃべりにして、作文の
上でも彼をあのように、せきこませているような風情だ。とき
に子供っぽく思えるほどのヒロイズムがかれに内面の一室に燃
えている」
「高村光太郎訪問気」は用もないのに、突如として会いたく
なって岩手県の山小屋まで会いに行った体験記、ここに安住し
ようという素振りの老詩人に、なにか釈然としない気持ちをも
ってしまい、東京で出ることを勧める下りは、余計なお世話に
も思えるが、凡庸ではないと感じる。
「文部省の詩感」は詩人の権威者たるという自覚の元の警世
の論述、まず詩人でこんなことを書くものは他にないだろう。
叙情詩人の硬派な国家主義的な一面がのぞいている。
とにかく、しょうじき、普通に考えたら奇妙な内容が多い。
硬派と自己への自信なのだろうか、と考えさせる。
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