田宮虎彦『姫百合』1964,あまりに暗く切ない短編集、とにかく隠花植物的な暗さを好む作者

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 田宮虎彦は、基本、どの作品も暗く切ない、悲しい人物を
、悲しい状況を描いた作品が多い。そうでない作品は挙げる
のが難しいだろう。で、この短編集、ちょうど東京五輪の時
期に、その直前くらいに刊行された短編集だ。古書でかろう
じて入手可能、でもあまり冊数はない。全集があれば収録さ
れているだろうが、まずお目にかかりにくい。本当に田宮虎
彦らしいというべきか、人生の救いようのない侘しさ、悲し
さを漂わす短編ばかりが並んでいる。田宮虎彦って結局、そ
んな作家だった、・・・・・その宿命観の世界に叩き込まれ
てしまう。本当に暗い鑑賞だ、集英社版「日本文学全集」に
収録の「小さな赤い花」もすだ、みなそうなのだ。

 表題作の「姫百合」、これは中編だが、二度結婚に失敗し
た中年土木技師、が工場建設のため沖縄に行き、那覇の宿で
白いブラウスを着ている女子従業員を知る。彼女は細やかで
控えめな愛情を示す、彼は次第にその女性が忘れがたくなっ
て結婚したいとさえ思うようになる。愛を受け入れながら彼
女は結婚、また沖縄を離れるのを拒否する。その戦争体験を
告白する、両親は沖縄戦で死亡、ひめゆり部隊の生き残りの
彼女は心の奥底で本土の日本人をどうしても許せない。

 「火曜日」も至って同趣だ。最初の妻と死別、二度目の妻
には逃げられた50過ぎの時計修理の職人、いまは消えた職業
で「時計職人」が当時をよく表すが、吉展ちゃん事件からの
ヒントか。場末の映画館で、寂しげで暗い影のある女と出会
う。二人は火曜日ごとに映画館で会って、やがて男はその女
との結婚を夢見る。四月末に二人で旅行をしたが、その日限
り、女は姿を消した。彼女の男が刑務所から出てきたからで
ある。
 
 しかし、中年男が思いを寄せる女性との結婚は全くのかなわ
ない。だが作者のどうしても悲恋失意で終わらせたいという考
えが見て取れる。別に中年男が、離婚経験のある、中年男が想
いを寄せようとそれが実現できないのは当たり前の話ではない
のか、それがいったいどうした?と思ってしまう。とにかく
発散させ、外の新たなものに向かうより、いじけて内向してし
まう、田宮作品の毎度の造形ではないのか。

 田宮虎彦の堂々と展開する文学を書けない女々しさをどうも
感じてしまう。それも神戸の場末に育った少年時代を回想した
「昔の絵」という作品に原点を求めることが出来るかもしれな
い。田宮虎彦はとにかく隠花植物的な生き方に惹かれる、それ
が好きな作家なのだ。救いない暗い雰囲気を好む、社会正義を
蔵しているようで非常に不健全に思えて仕方がない。

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